らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「枕草子」3 男編 清少納言






ご存知の方もおられると思いますが、清少納言は結婚していました。
それでは相手はどういう男性だったかと言うと、
当代きっての才女である清少納言相手ですから、
さぞかし風流で才気煥発な人かと思いきや、実はそうではありませんでした。

夫の名を橘則光といいますが、
枕草子第80段に彼の人となりがわかるエピソードがあります。



私(清少納言)が宮中から里に帰っていた時に、
夫の則光がやって来て、雑談などした際に言うには、

「昨日、宰相の中将(清少納言に好意を抱いている)がいらっしゃって、
清少納言のいる所を、夫のお前が知らないはずはない。
どこにいるのか言え。と、厳しくおっしゃるんだよ。
知りませんと言ったんだけど、
知っていることを知らないと、しらをきるのは、すごく苦しいことじゃない。
それで苦し紛れに、宰相の中将の顔を見てたら、なんだか吹き出しそうになっちゃって、
たまたまそこにあった昆布の料理を口いっぱい放り込んで誤魔化したんだけど、
おかげで周りの人から変な顔で見られちゃったよ。
でも、そのお陰で、お前がどこにいるのか、なんとか言わずに済んだよ。」

ということだったので、

私(清少納言)は、
「これからも、絶対に教えちゃダメよ。」と念押をした。

それからしばらく経ったある夜、たいそう更けてから、門をどんどん叩く人がいた。
こんな夜中にどうしてこんな無遠慮な大きな音で門を叩くのか、何事かと思って、開けたところ、
夫の使いという者が手紙を持ってきていて、
それを読むと、
「 あれからも宰相の中将が厳しく問い詰めてくるので、もう言い逃れができない。
どこにいるか教えちゃってもいいだろうか。」
と書いてあるので、
手紙の文言に返事は書かないで、
昆布を一寸ほど包んで使いの者に持たせた。

その後、会った時に夫則光が私に、
「 この前の、あの怪しい昆布は何?どういう意味だったの?」
と言うので、
全くこちらの気持ちが分かっていなかったのだなと憎々しく思って、
ものも言わずに、硯の中にあった紙に、


かづきする
あまの住家を
そことだに
ゆめ言ふなとや
めをくはせけむ


と書いて差し出したところ、
夫則光は「あー、また歌か。歌で返事しても、俺は絶対返さないよ。歌嫌いだから。」
と言って、その紙を返して帰ってしまった。

そうこうしているうちに、則光は手紙を送ってきた。
曰く、「私のことを良く思ってくれるなら、どうか歌を送ってこないでほしい。
歌を送ってきたら、私の敵とみなします。
今回を限りに絶縁しようと思った時だけ、歌を送ってきて下さい。」
などと言っていたので、
この手紙の返事に、


崩れ夜
妹背(いもせ)の山の
なかなれば
さらに吉野の
河とだに見じ


妹背山(夫婦仲)も崩れ始めてしまったので
二つの山の間にながれる吉野川も(情も)流れなくなってしまいましたよ


と詠んで送ったのだが、
本当に見ないままになってしまったのだろうか、
返事も返して来なかった。

その後、則光は地方官に任命され、地方に下ってしまったので、
そのまま疎遠になってしまった。


・・・・



自分達は紫式部清少納言というような
平安時代きっての知的で風流な人々しか知りませんから、
あの時代は、皆が皆、さらさらと素晴らしい歌を詠むんだと想像してしまうのですが、
当たり前ですが、そんなことはなかったわけです。
清少納言の夫橘則光はまさにそうじゃない男性だったわけです(^_^;)

あの清少納言に向かって、物怖じせずに、歌が嫌いと言ってのける
橘則光の勇気に、スタンディングオベーションしてあげたいくらいなのですが、
妻が清少納言だったがために、
昆布を口いっぱいに詰め込んで言い逃れする彼のお茶目な姿が、
千年後にも語り継がれてしまっているわけです(^_^;)


さて、それでは清少納言が好みとする男性のタイプとは、どんなのだったのでしょう。
枕草子には次のような記述があります。



説経の講師は顔よき
講師の顔をつとまもらへたるこそ
その説くことのたふとさもおぼゆれ
ひが目しつれば
ふと忘るるに
にくげなるは罪や得らむとおぼゆ


説経とはまことに尊くてありがたいものだ。※イケメンに限る
イケメン以外の説経はよそ見しているうちに、内容を忘れてしまうし、
ブサイクな僧の話を聞くと、罪を犯しているような気分にすらなる。



今ならいざ知らず、
千年前にこういうことをズバッと言い放つ清少納言はやはりすごいです(^_^;)
男は顔じゃないハートさ。と言いますが、
千年前から、やはり男は顔だったんです(笑)

でも当時のハンサムは今とはちょっと違っていて、
白くて下膨れ気味が好まれたと言います。



若き人 ちごどもなどは
肥えたる よし
受領など大人だちぬるも
ふくらかなるぞ よき。


若い人や子供たちは、太っているのが良い。
ある程度の地位を得たような大人も、
ふくよかに太っているほうが良い。


そして、

おほきにてよきもの
男の目 あまりほそきは女めきたり


大きい方がよいもの。
男の目。あまり細いのは女のようでイヤだ。



目が大きい。
これは意外でした。
平安時代は切れ長の目がよしとばかり思っていましたので。

では、実際どんな顔の男が好みだったのか自分なりに分析してみますと、

下膨れで・・というとこんな感じですが、




しかし切れ長な目ですから駄目ですね。


そうすると、こういう感じだったのかなと思うのですが、




顔がほっそりしてますから、当時のハンサムとはちょっと色合いが違います。

そうしますと、こんな感じだったのではないかと。







どういうのがタイプかということは微妙なニュアンスがありますので、
本人に聞いてみないとわからないところはありますが(^_^;)


さて、残念ながら、清少納言の夫橘則光の肖像は現代に残っていません。
しかし今昔物語などによりますと、
賊を3人またたくまに切り捨てたなどという武勇伝もあるそうで、
なかなかの体育会系の人だったようです。


男編続きます(笑)