「ゴッホの手紙」1 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
ヴィンセントヴァン・ゴッホ自画像
ゴッホというと、皆さん、どのようなイメージをお持ちになっているでしょうか。
あの絵の具を叩きつけるような独特な画風。
一目でゴッホの作品だとわかる 強烈な個性を持った作品の数々。
そして、その強烈さゆえに自分の耳を切り落としてしまい、
最後には自ら短銃で命を絶ってしまった激しさをもった人。
中には狂人と評する人もいるかもしれません。
今ここに「ゴッホの手紙」と題する書籍があります。
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51AqP26tzeL._AA168_.jpg
激しい彼の人生のエピソードや強烈な画風からは似ても似つかぬ、
静かな文学青年のようなおもむきを感じさせます。
理知的で、文学的で、詩的で、論理的で大変な勉強家。
静かなる情熱をもった人。
情念がほとばしるゴッホのイメージからすると、
そのクレバーでおだやかな様は、極めて意外な感すらします。
静かな文学青年のようなおもむきを感じさせます。
理知的で、文学的で、詩的で、論理的で大変な勉強家。
静かなる情熱をもった人。
情念がほとばしるゴッホのイメージからすると、
そのクレバーでおだやかな様は、極めて意外な感すらします。
そして、もうひとつ、ゴッホというと、
日本に憧れ、浮世絵を愛していたことでも知られています。
しかし、具体的に、どうして日本に憧れていたのかを、
その理由を知る人は少ないのではないでしょうか。
今回は、彼が日本について、熱っぽく、
そして穏やかに理知的に、弟テオに語った手紙をいくつか紹介したく思います。
「親切な手紙と同封の五十フラン札とを有難う。
どっちみちゴーガンに手紙を書くとしよう。
旅行が厄介で悩みの種だ。
約束して後で都合が悪くなったら、困ってしまう。
今日ゴーガンに手紙を書いて、それを君に送ろう。
ここの海を見てきた今、南仏に滞在することの意義を切実に感ずる。
もっと色を強烈に使わなければ - アフリカは近いのだ。
たとえ物価が高くても南仏に滞在したいわけは、次の通りである。
日本の絵が大好きで、その影響を受け、
それはすべての印象派画家たちにも共通なのに、
日本へ行こうとはしない、
つまり、日本に似ている南仏に。
決論として、新しい芸術の将来は南仏にあるようだ。
しかし、一人でいるのはまずい、
二三人で互いに助け合った方が安く生活できる。
君が当地にしばらく滞在できるとうれしい、
君はそれをすぐ感じとり、ものの見方が変って、
もっと日本的な眼でものをみたり、色彩も違って感じるようになる。
長い期間滞在するとすれば、確かに自分の性格も変ってしまうだろう。
日本人は素描をするのが速い、非常に速い、
まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ。」
「日本の芸術を研究してみると、
あきらかに賢者であり哲学者であり知者である人物に出会う。
彼は歳月をどう過ごしているのだろうか。
地球と月との距離を研究しているのか、いやそうではない。
ビスマルクの政策を研究しているのか、いやそうではない。
彼はただ一茎の草の芽を研究しているのだ。
ところが、この草の芽が彼に、あらゆる植物を、
つぎには季節を、田園の広々とした風景を、
さらには動物を、人間の顔を描けるようにさせるのだ。
こうして彼はその生涯を送るのだが、
すべてを描き尽くすには人生はあまりにも短い。
いいかね、彼らみずからが花が咲くように、
自然の中に生きていくこんなに素朴な日本人たちがわれわれに教えるものこそ、
真の宗教と言えるのではないだろうか。
日本の芸術を研究すれば、
誰でももっと陽気にもっと幸せにならずにはいられないはずだ。
われわれは因襲的な世界で教育を受け仕事をしているけども、
もっと自然に還らなければいけないのだ。」
名所江戸百景亀戸梅屋敷
(歌川広重)
(歌川広重)
「僕は、日本人がその作品のすべてのものにもっている極度の明確さを、羨しく思う。
それは決して厭な感じを与えもしないし、
急いで描いたようにも見えない。
彼らの仕事は呼吸のように単純で、
まるで服のボタンでもかけるように簡単に、楽々と確かな数本の線で人物を描きあげる。
ああ、私もわずかな線で人物を描けるようにならなくてならない。」