らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【クラシック音楽】ベートーベン交響曲第7番 宇野功芳指揮





前回、クラシック音楽評論家宇野功芳氏の記事を書きましたが、
記事に掲載した画像が、タクトを振る指揮者の姿であることに
違和感を覚えた方もいらっしゃるかもしれません。

実を言いますと、宇野氏はもともとは合唱指揮者で、
その片手間としてクラシック評論家の仕事を始め、
その評論が人気を博したという経緯をもっています。

その評論において、常々、
理想の演奏とは云々、自分ならここはこうはしない、こうしたい。
というような文章を繰り返し書いておられまして、
宇野氏のやりたい理想の演奏が現実化したら、
どのようになるのかというのは長年の興味のひとつでしたが、
それがひとつの形で結実したのがこちらというわけです。


曲はベートーベン交響曲第7番。
ここでは最終楽章のみ添付いたします。
https://youtu.be/161LSBkvxN4


冒頭、オーケストラの、裏声で叫ぶような出だしに笑ってしまいます。
そして思わずつんのめってしまいそうな次の音までの妙な間。
トランペットの狂ったような咆哮。
雷のように打ち落とされるテンパニィ。


これは残念ながら芸術的な演奏ではないと感じます(^_^;)

芸術的とは何か。
調和、そして美しさ、何度も触れてみたいと惹きつけられる力。

この演奏は音が勝手にバラバラに鳴っている感じであり、
そして美しいとはほど遠い、失礼ながら、粗野で下品な演奏とすらいえます(^_^;)
真に迫力あるものは美しいものなのです。
芸術的なものは汲めども汲めども新しい発見がある内なる力を秘めていますが、
この演奏は多分に表層的です。

たぶんベートーベンが聴いたら怒るレベルではないかと思います(笑)

しかしながら、宇野氏の評論を好意的に読んでいた者にとっては、
聴いていて、ちょっとニヤリとしてしまうところがあります。
ああ、評論でこんな事を言っていたな、
ここはもっとトランペットは厚くしたいとか言ってたっけ、
というような彼の言葉が、演奏を聴いているとよみがえってきます。
つまりはこれは、ベートーベンではなく宇野氏の思い入れを聴く演奏なのです。


ちなみに、この演奏に添えられた文章。


2011年に誕生80年を迎えた宇野功芳を祝し、
特別装いを施した彼とゆかりの深い日本大学管弦楽団
宇野功芳 傘寿記念」の名を冠して、
9月19日に上野学園石橋メモリアルホールにて記念コンサートを開催しました。

当ディスクはそのライヴで、物凄い爆演に驚かされます。
まさに切れば血の出るような音楽で、独特の解釈も強烈のひとことに尽き、
フルトヴェングラークナッパーツブッシュ
往年の巨匠が蘇ったかと錯覚させられるオーラと魔力に満ちています。



笑えます。
おそらくこの文章を書いた人は自分と同じ気持ちなんだと思います。

しかしこの演奏は、評論家宇野功芳の名を貶めるものでありません。
なぜなら、自分は彼のおかげで、素晴らしい名演奏に幾つも出逢っているわけですから。
宇野氏といえどもオーケストラの指揮に関しては経験が浅く、
自分の心に描いてものを思い通りに表現するには研鑽が足りないのです。
そして、演奏する才能と評論する才能とは別個のものともいえます。


そして、たぶん宇野氏の頭の中にあったスタイルの演奏はこちら。
往年の巨匠フルトヴェングラーによるものです。
https://youtu.be/bHpJzEnXnnE


なんとなく似てるところがあるのがお分かりになるでしょうか。
しかし、それは似ている気がしても、
長州力長州小力ぐらいの差があります。

二つを聴き比べることで、名演奏といわれるものが、
いかに凝縮された深いものであるか知らしめるものだと思います。
ぜひ聴き比べてみてください。