らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【テレビ番組】大河ドラマ「真田丸」2





大河ドラマ真田丸」では、甲斐の武田氏の滅亡が、その物語の始まりとなっています。
なかでも、武田勝頼役の平岳大さんの演技が評判を呼んでおり、
自らの運命を悟り、名門武田家の名を汚さぬよう
淡々とそのさだめを受け入れる演技には、 
なかなか見るべきものがあると高評価を得ています。






実は、我がもぞ一族と武田勝頼にはちょっとした因縁がありまして 、
父の実家の寺の山門にあるに説明書きによりますと、
武田勝頼の勢い盛んなりし頃、 美濃(今の岐阜県)に侵攻した際 、
我が先祖の寺もその兵火により焼失してしまったというくだりがあるのです。

かろうじてご本尊を守ることはでき、一族に死者も出なかったようなのですが、
寺を再興することができたのは江戸時代の二代将軍秀忠の時代だったとのことですから、
我が御先祖はご本尊をかかえて数十年さすらっていたことになります(^_^;)

400年を経た子孫である自分には、
武田勝頼に対する憎しみはさすがにありません笑
戦国の世の習いとして仕方がないところではあります。
ただ一つ気になるのは、ご先祖は武田氏の滅亡をどのような気持ちで聞いたのか。
我が一族の気質からすれば、仏罰だ!とか、因果応報だ!というように
厳しく非難するという感じではなく、
武田氏が滅亡したことで美濃から脅威が去り、
ホッとしたというところではなかったかなと想像しています。
その後、織田氏及び豊臣氏の栄枯盛衰を経て、やっとのことで寺を再興したわけで、
その時点では道のりはまだまだであったわけですが。

なお、平岳大さん、俳優平幹二朗さんと佐久間良子さんの長男だそうで、
顔の造りはお父さんに似ていますが、
なんとなく柔らかな雰囲気はお母さんに似てるような気もしますね。


そして、追い詰められた武田勝頼がいよいよ自害するという時に現れた、
諏訪法性兜をまとった武田信玄の亡霊、





最初、鎧だけで人は入っていないと思ったのですが、 
そこに妙に不思議な存在感を感じ、
一体鎧の中に誰が入ってるんだろうと思っておりましたが、
演じておられたのは殺陣師の林邦史朗さんでした。

昨年9月の撮影から約1カ月後の同10月に膵臓癌で亡くなられ、
今回の出演が遺作となってしまったそうです。
林さんは演劇・殺陣プロダクション「若駒」の創設者として
日本の殺陣を発展させた第一人者であり、
常に殺陣指導として大河ドラマにクレジットされており、お名前だけは自分も知っておりました。
殺陣指導という、本来裏から歴史ドラマを支える仕事に長く携わってこられた方が、
最後にこのような役を演じられたというのは、不思議な縁のようなものを感じます。


さて、「真田丸」第一回、第二回と見て参りましたが、
このように武田家の描写については見るべきものがあったように思いますが、
主役の真田家の人々の描写、特に甲斐からの逃避行などは、
ドタバタして今ひとつ緊張感の無いコミカルなものに感じました。
まあこれも三谷風味ということなのでしょうけれども。
ただ武田家の面々の真剣な面持ちと並べられると、
ちょっと浮いた感はやはり否めませんでしたね。