「年賀郵便」岡本綺堂
岡本綺堂は明治から昭和初期に活躍した劇作家で、
「半七捕物帖」「修善寺物語」の作品など有名ですが、このような随筆も書いています。
読んでみますと、明治の日清戦争の前頃までは、
年賀というのは、正月に相手のお宅を直接訪問して挨拶することを意味し、
元旦から正月の十日過ぎ頃まで東京の街は年賀の挨拶のため、
えらい賑わいを見せていたそうです。
年賀状というのはそれを省略して手紙で済ます、いわば横着な方法の年賀の挨拶であった。
というようなくだりに、へぇーと思いました。
それによりますと、日清日露戦争中は、おおっぴらに年賀に出かけるのは憚られたため、
年賀状による年賀が普及し、郵便局に年賀郵便が山積みされるようになったということですが、
それから100年が経った今、
当時の人から横着だと思われていた年賀状もいまや廃れつつあります。
ちなみに今年の年賀状発行枚数は30億枚で、全盛期の2/3ほどに減っているそうです。
そして、今はさらに横着?なメールやSNSなどに取って替わられつつあります。
文中、昔は年賀の挨拶で忙しく、劇場など開いていなかったのに、
今は年賀状で挨拶が省け、元旦から劇場が開いているというくだりがありますが、
今では、更に手間が省け、劇場のみならず、
デパートなども元旦から初売りをしますし、初詣の神社仏閣も大賑わいです(^_^;)
最後に
「忙しい世の人に多大の便利を与えるのは年賀郵便である。
それと同時に人生に一種の寂寥を感じさせるのも年賀郵便であろう。」
と、この文章を閉じています。
世の中が進み、便利になってきたのだから仕方がないと自ら諭しつつも、
人と人との距離感が次第に希薄になってゆく一抹の寂しさのようなものが、
そこからは感じ取れます。
最後の一文を現代風に直せば、
「忙しい世の人に多大の便利を与えるのはメールやSNSである。
それと同時に人生に一種の寂寥を感じさせるのもメールやSNSであろう。」
というところでしょうか。
明治の昔のごとく直接相手に会いに行って、年賀の挨拶をするのは望むべくもありませんが、
年に一度せめて肉筆で年賀状を書いて、
なるべく近い距離で旧交を温めていきたいなと思っています。
ちなみに自分は郵便局の回し者ではありません(^_^;)