らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【クラシック音楽】ショパンコンクール2015 二次予選2

 

 

今まで、日本その他のアジア及びヨーロッパの演奏家を見てきたので、
今回は米国の演奏家を聴いてみたいと思います。
米国代表は二次予選に4人通過していますが、
そのうちの3人がなんと東洋系(ちなみにあと1人はロシア系 )。

米国という国はすごいと思う。
世界中から米国に集まった様々な人種の人々が、米国を代表して世界で戦う。
それぞれの得意分野で、その時々に一番優れた能力を持った人種の人々が現れ、
そのエネルギーは絶え間なく流れ、尽きることはない。
ヨーロッパではクラシック音楽の教育というのは衰退傾向にあり、
二次予選に通過しているのも各国一人か二人に過ぎないのと比べると、
雑多な人種の集った米国という国の底力を感じます。



レイシェル・ナオミ・クドウ




 
彼女の容貌は日本人そのものだが、実際に接すると、日本人らしい雰囲気はほとんどない。

彼女の演奏、音と音の「間」が上手くない。
素晴らしい演奏は、間に音楽を感じる。
彼女の場合の「間」は、音楽を止めてしまっていると感じることが多い。

全体的にも、作品に対する思いが 鍵盤に伝わり切れていないきらいがあり、
ピアノの音が鳴っているだけに感じるところがある。

文学で例えれば、何かを伝えたい思いはあっても、
それを文字で表現し切れていないため、読む人に思いが伝わらない。
時折、美しく響く瞬間はあるものの 、
表現者としては未熟と言わざるを得ない。
ひょっとしたら、大舞台に硬くなってしまったのかもしれない。


 
ケイト・リュウ




 
名前からすると、中国系でしょうか。
先ほどのレイチェル・ナオミ・クドウと一見同じようなピアノの音色に聴こえるが、
聴き進んでいくと、
レイチェルのそれはあっけらかんとした感じのものであったのに対し、
ケイトの音は、しっとりとまとわりつくような情感がある。
音にしっかりと思いが乗っているの感じる。
音楽の流れが非常によく、決して途切れることなく、淀むところがない。
心地よくその音の中にひたることができる。
ケチをつけるところがない精緻な素晴らしい演奏。

しかし、強いて言えば、いい意味でも悪い意味でも、アクのない演奏ともいえる。
西洋人の演奏は下手くそでも上手くてもアクの強いことが多い。
だから、演奏を聞いていても、誰の演奏かすぐわかる。
東アジア、特に日本人には多いが、
演奏は総じて優しく精緻で、そつがないのだが、
悪く言えば、ガツンとしたところがないところがある。
しかし、ケイトの演奏は、それから一歩秀でているものを感じるのは確か。



 
エリック・ルー




 
彼もケイトと同じくおそらく中国系。
先に、日本の丸山さんが16歳でショパンコンクールに最年少出場した話をしたが、
彼は一つ上の17歳。
しかし、演奏家としては、ひとつの年以上のものを感じざるを得ない。
誤解をおそれず言ってしまえば、天と地ほどの開きがある。

ある意味、彼は怪物だと思う。
彼の演奏を一言で表すならば、枯淡のきらめき。
17歳でこのような世界を作り出せるというのは、驚きのほかはない。
彼の年齢から、自らの人生の経験でそれを得たとは考えられない。
楽譜から、彼のインスピレーションをもってその世界を感じ当てたのだ。
それは、直観で真理の定式を感じ取る数学的才能みたいなものといえるかもしれない。
世界には素晴らしい才能を持った人がいる。

その音楽は、とても繊細で、よどみなく流れ、何よりも語りかけが素晴らしい。
無意味に響く音はひとつとて無く、ゆったりと流れてゆく。
まるで、散った桜の花びらがゆっくりと川の水面を流れてゆくように。

そのような音楽に長い時間ひたっていたはずなのに、
演奏が終わってしまうと、もっとひたっていたい気持ちになる。

今回自分が聴いた中で最上の演奏。間違いなく。

 
 
 
ライブにおける三人の演奏は、こちらのページの、
https://www.youtube.com/watch?v=kplTfUu_kA0
13:00~ レイチェル・ナオミ・クドウさん(米国)
58:00~ ケイト・リュウ(米国)
1:41:00~ エリック・ルーさん(米国)