らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「和宮様御留」後編 有吉佐和子

 

 
 
前編


前編で、歴史上における、公家の、幕府(武家)に対する屈折した思いの話をしました。 
江戸時代の二百数十年にわたって、京の狭い内裏の中に押し込められて生きてきた公家の、
心の命綱である、自分たちは高貴であるというプライドと格式。
それについて、作者は、その空気感を感じさせるような見事な筆致で表現しています。

それを一言でいえば、「静」という言葉で表現できるでしょうか。

食事はおろか、日常生活の隅々にわたるまで、ムダで下品な動きや音を出してはいけない。
それは人間の生理的現象である排泄についてまでも。

和宮のような、やんごとなきお方は、ムダに食することはありませんから、
排泄もトイレなどに行かず、部屋に置いてある漆塗りの箱の中にして、
後処理はお付きの女官に全て任せます。
いわゆる、おまるというものですが、
体の中に入れる物が少ないので、出す物も、小さな漆塗りの箱で全て事足りてしまうのです。

一方、市井の人間であるフキは、美味しいと感じれば、自分が満足するまで食してしまう、
つまり、ムダに行動して(食べて)しまうので、当然ムダな排泄も多い。
漆塗りの箱からこぼれんばかりに排泄してしまってフキは、
お付きの女官から下品な所為としてイヤな顔をされ、嫌われます。
その他も、話す言葉ひとつとっても、「ごきげんよう」と「ありがとう」の二言でほぼ事足りてしまう、
また、風呂に入る際の水音ひとつ、はしたないものとして、たしなめられます。

高貴とは、自分の欲するまま、自由に行動することなく、
伝統に乗っ取った格式に従い、その枠の中でしずしずと生きてゆくこと。

この「静」というのは、騒がしくないという意味では、確かに、品の良いものであり、
高貴ということに事欠からざる要素であり、
静謐というものを感じさせるものではあります。
しかし、ここでの「静」は、そのような良い意味合いのものばかりではありません。
すなわち、ここにおける「静」には、人が生きているという気配がしないのです。
しかし、ひっそりと、その気配の無い中に、自分を見つめているものが確かに存在する、
その底知れぬおそろしさ、そして不気味さがあります。

たとえ、そこが、どんなに高貴な世界であるとしても、
自由な世界に生きてきた者にとっては、
そのような、狭く人為的な枠の中に、本来自然であるはずの自分を、
無理矢理押し込めてゆくことはとても耐えられぬことです。 
公家の世界で和宮として生きるフキの、押し殺したような息遣いが伝わってくるような息苦しさを感じさせます。

逆に、その枠の中で生きてきた公家たちにとっては、
自由に生きてきた者の、押し込められた苦しさなどわかるはずがありません。
籠の中で産まれ、生きてきた鳥は、籠の中が全ての世界なのですから、
フキに同情する者など公家の中には一人もいません。
誰一人フキをフキとして接してくれる者などおらず、
和宮という枠としてしか接してもらえぬフキは、
江戸に向かう道中で、遂に気が触れてしまいます。
しかし、和宮の身代わりが死んだとしても公家達には悲しみの心などありません 。
公家の格式、もしくはプライドといってもよいでしょう、
それを守るのが彼らの全てであって、
彼らの、それらが崩れることだけが、彼らの悲しみの全てであるからです。

水汲みが大好きで、快活な働き者の、優しい心根を持った少女は、
公家たちの怨がこもった、長きにわたり作り上げてきた枠に無理矢理押し込められ、
心が窒息してしまったのです。

和宮という枠から外れてしまったフキは、いとも簡単に捨てられ、
すぐさま、江戸に向かう代役が立てられます。
それから以降、フキは、一切物語の中に現れません。
生きたのか、死んだのか、全くわからない、
いや、この物語に出てくる公家達にとって、
そんなことは全く興味ないことだったことなのでしょう。
フキが最も信頼を寄せていた少進ですらも。

フキは陰鬱とした公家たちの「静」の世界の中で、ポツンと独りきりだったのです。


この作品は、歴史的な事実と架空を織り混ぜ、
ひょっとしたら本当にこんなことあったのかもしれないと、
読者に想像力を掻き立てる歴史小説としての魅力もさることながら、
人間の心の本質を深く抉(えぐ)る描写に優れた、
自分的には、夏目漱石「こころ」や太宰治人間失格」にも匹敵する名作に感じました。
 
 
 






 
増上寺から発掘された和宮(静寛院)の頭蓋骨。
遺体には、不思議なことに、左手首の先が見当たりませんでした。
和宮は、幼い頃、足の関節炎を患い、歩行が不自由だったとされていますが、
足の骨格に病変を感じさせるような異常はなく、きわめて正常でした。
この頭蓋骨は本当に和宮その人のものであったのでしょうか・・・





 
ちなみに、こちらは、明らかに、ニセモノの和宮です(笑)
和宮さん、こんなに血色がよくて、健康的な女性ではなかったでしょうね。
大河ドラマ篤姫」で堀北真希さん演じたもの)