らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】32 ヴァラドンとユトリロ 前編

 

 

この記事は、一般に世間に流布してる、
母ヴァラドンと息子モーリス・ユトリロについてのエピソードを、
なぞってまとめたものではなく、
美術展で二人の作品や写真などを見て、
自分がそこから感じ取ったことを自由に書いたものです。


この母子について語るとき、
母は自由奔放で息子に愛は薄く、息子は母の愛に飢えていた。といわれます。

しかし、自分は、必ずしもそうではないと感じます。
前に紹介した、彼女が描いた幼い息子の絵を見ると、
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/14118549.html
普通の母子よりも息子のことを愛していたのではないかと思うところすらあります。

実は、今回の美術展に、ヴァラドンが、
自分の母マグドレーヌを描いた作品がありました。





「画家の母」

口をへの字に曲げて、いかにも頑固そうな、くっきりと皺が刻まれた老婆の絵。
ヴァラドンの油絵の中では、自分が一番好きな作品かもしれません。

家族の愛情というのは、たかが一つの色の糸で繋がっている、か細いものではありません。
喜怒哀楽、ありとあらゆる思いの数だけの色の糸で紡がれている、
切ろうとしてもなかなか切ることができない関係です。
この老いたる母親を描いた作品には、
その無数に紡がれている糸の色が塗り込められているように感じます。

ヴァラドンは、母にしろ息子にしろ、決して肉親に薄情で無関心ではなく、
むしろ、人並み以上に愛情を持っていた人であったと感じます。





ユトリロと老婆」
息子と自分の母を描いた作品



ヴァラドンは私生児として、洗濯女を母にもつ貧しい家庭に生まれました。
母一人の、父を知らないで育ったという意味では、息子のユトリロと同じです。

長じて、サーカスに入団しますが、空中ブランコから落下し、ケガのため断念。
その後、絵や写真のモデルをするようになり、
そこで人生を変える出会いをするようになります。

こちらは、その頃のヴァラドンをモデルにした写真です。





母子の時の写真では、見せることのなかった、
女としての魅力を存分に醸し出す微笑みのヴァラドン

男性であるなら、ほとんどの人が、美しい魅惑的な女性だと感じることでしょう。
もちろん自分もそう感じます(笑)

彼女はその愛くるしい美貌ゆえに、絵画のモデルとなり、
画家達と出会い、そして自分自身、絵画と出会いました。

母子二人の閉塞した貧しい境遇から、
高名な芸術家たちとの交流もさることながら、
絵画という芸術に出会い、彼女は自分の人生の活路を見出した思いだったでしょう。

ヴァラドンが恋愛関係にあったとされる人は、
当時のそうそうたる芸術家が名を連ねていますが、
いずれも長続きしませんでした。
44歳の時、21歳年下の息子の友人ユッテルと、
大恋愛の末、結婚までしますが、
晩年、結局彼とも別れてしまいました。


思うに、ヴァラドンという人は、本来あらねばならないはずの、
自己に満たされていない欠けている部分を、
自分の中に必死に補おうとする人生だったと感じるところがあります。

生まれた時から欠落していて、満たされない父の愛を、
様々な男性を渡り歩くことで、
自らの心が最も満足する形で満たそうとしたのかもしれません。

また、絵画を通じて、様々な知己を得、彼女の回りは賑やかになりました。
ヴァラドンの描く絵画は、彼女自身の気性と大いに重なるところがあります。
彼女にとって絵画とは、自然の美や人間の心の内奥を見出だして作品にするというよりは、
自分の心の中にあるものを表現し、
人々に知ってもらう最高の媒介を果すものであったようにも思います。

自分が、今回の美術展で、彼女の絵画を連なって観て、
少々単調に感じてしまったのは、
ヴァラドンのそのような自我的な心情を微妙に感じ取ってしまったからかもしれません。

ヴァラドンは、そのような自己に欠落している部分を満たすのに執心するあまり、
息子に愛情はあっても、その手間ひまをおろそかにしてしまい、
必ずしも、それは伝わり切らなかった。
それは否めないように思います。

良い人間関係というのは、親子であっても、いや、親子であるからこそ、
じっくりと、こつこつ時間をかけねば育ってゆかぬものなのかもしれません。



後編はユトリロについて書きます。






晩年のヴァラドンユトリロ