らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「高杉晋作の上海レポート」宮永孝



 

 
大河ドラマ「花燃ゆ」第20話で、
高杉晋作の上海行きの事をほんの少しやっていましたが、
その内容を補足する意味で、こちらの本を読みました。

題名からしますと、あたかも高杉晋作が藩に詳細な上海レポートを提出し、
それを現代語訳した本に思われるかもしれませんが、
そんなことはなく(笑)
高杉晋作が現地で書いた日誌をもとに(しかも途中で書くのを放棄(笑))
幕府や他の随行者の日誌で補足して、
高杉晋作の上海行きの全体像を明らかにするというものです。


高杉晋作は、上海の視察に行く幕府の役人の「付き人」として参加しています。
その他、 随行した者の中に、歴史に名を残した人物としては、
薩摩藩五代友厚などがいました。

幕府の上海視察一行は4月29日長崎出港。5月6日に上海到着。
その間の2日は大嵐で、船は木の葉の如く揺れ、
大浪が甲板の上に大音響と共に落ちてきたといいます。

「諸子甚だ窮す、船毎に動揺し、行李人とともに転倒し、
船に酔う人なお酒に酔うが如く、身体を臥してほとんど死人の如く」
高杉晋作の日誌より)

遣唐使の時代からそうですが、東シナ海って結構荒れる海なんですよね。

それよりも高杉が実感したのは、
完全に外国の支配化にある上海から日本の長崎まで、
海が荒れたにもかかわらず 、僅か1週間で着いてしまうという
実感的な距離の短さであったのではないかと思います。

ちなみに海が荒れていない時は 、暇つぶしに腕相撲したり、
海中にカツオの大群を見つけると、 
それを釣り上げ、皆で食したりと結構和気あいあいと過ごしています。


高杉は幕吏に従って上陸すると、オランダ領事館を訪れ、
遣使らが挨拶を交わしているあいだ、
同館勤務の清国人と筆談を試みております。
彼は非常に好奇心旺盛に、上海の書店の位置、清国の傑人(林則徐、陳化成)などの評判、
英米仏露のうちで最強の国はどこか、といった質問をしたそうです。

なお、日本の侍たちは、行く先々で、じろじろ見られ、
ちょんまげを指差して笑われ、街を歩くと、大勢の清国人がぞろぞろ後をつけてきたそうで、
当時中国人も弁髪と言って、外国人から豚の尻尾とからかわれた
珍しい髪型をしていましたが、
その中国人をしても日本人の武士の髪型は物珍しかったのでしょう。




 
この季節の上海はかなりの高温多湿で、高杉らもかなり辟易したようですが、
積極的に外に出向いて、様々なものを見聞きしています。

当時中国は太平天国の乱の真っ最中であり、
反乱軍は上海の約30kmほどのところまで迫っていました。
距離的に言うと、東京横浜間ぐらいというところでしょうか。
そのため上海防衛のため欧米列強の軍隊の陣営や清国の陣営が軒を連ねており、
高杉らは各陣営の兵備などを見に行ったり、
イギリス砲台で最新のアームストロング砲を見学したりしています。
その中には当時駆け出しの李鴻章の陣営も含まれており、
この30年後に、高杉の後輩伊藤博文山県有朋らと李が日清戦争で相まみえるのは、
ちょっとした因縁を感じます。


そのほか、アメリカ人の商店でピストルを買ったりしており、
これはドラマでも出てきましたね。 
実は、このピストル、後に坂本龍馬にプレゼントされたもので、
後年、寺田屋において幕吏に囲まれた龍馬の危機を救っており、
ある意味、歴史を変えたお土産となっております。

 
高杉は上海の街の様子もつぶさに観察しており、
上海において華やかで繁盛している港は、すべて外国の商船や建物であり、
清国人の生活の貧しさ、粗末さというものも目の当たりにしています。

彼は、もし平和な時代であったならば、
詩人になりたいと言っていたほどの人ですから、
直感的、感性的に物事を捉えるということに常人より遥かに長けていたと感じます。
とすれば、日本で外国に関する書物を100冊読むよりも、
僅かな期間であったにせよ、 列強に呑み込まれ、支配されつつある中国を、
自らの目で見、肌で感じたことの意義は非常に大きく、
彼の人生の方向を確定づけた上海行きであったといってもよいのではないかでしょうか。

ちなみに、高杉は、日本に帰国したその日に、
長崎で売りに出ていたオランダの蒸気船(今でいう軍艦)を独断で注文しています(笑)

しかし 高杉贔屓の自分が弁護させてもらうならば、
本一冊分の紙の報告書よりも、実物の蒸気船即購入という方が、
はるかにインパクトあるレポートであったのではないかと思います。

この本は著者の洞察にを唸らされるというようなものではありませんが、
高杉晋作の上海行の情報が整理され、よくまとめられており、
その資料的価値は非常に高いと感じました。