らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「数の子は音を食うもの」北大路魯山人


 
 
 

お正月が過ぎ去ってもう久しい感がありますが、
まだ1月で、1ヶ月も経っていないんですよね。。
今回は去り行くお正月を惜しみ、おせち料理の話を少々。

お正月のおせち料理の中で何が好きだと問われれば、
自分が真っ先に思い浮かぶのは、栗きんとんと数の子です。

栗きんとんは子供の頃から、あの香ばしい栗の香りが大好きで、
ショートケーキを買うときにも、自分はまずもってモンブランを買ってしまいます。

では、数の子はなぜ好きなのか。

まず、自分はご飯が好きなので、お米と相性がよいものであるということ。
そして、もうひとつは、このエッセイを読んで、
あー、そうかもしれないと思いを新たにしましたが、
数の子を咀嚼するときの音が、パリッパリッと小気味よく、
美味しくて、とても新鮮なイメージがあります。

筆者は、これを、「魚卵が弾丸のように炸裂する交響楽」と言っていますが、
非常に言い得て妙でして、
昔、「美味なるものには音がある」というソーセージのCMがありましたけれども、
より正確に言うならば、「美味なるものには音楽がある」というべきなのかもしれません。

魯山人数の子の一番美味しい食し方をいろいろ述べていますが、
彼の一貫した考えは、素材の個性を最大限活かす料理ということにあります。
ですから、数の子の味噌漬け、醤油漬けというものにあまり評価せず、
食べる直前にちょっと醤油を垂らして食すのが最も良いと述べています。

日本は、新鮮な魚介類や野菜が容易に手に入る魚米豊かな土地ですので、
濃い味の調味料などによる調理で、
素材本来の味が損なわれてしまうというのは、感覚的に理解できます。
インドで香辛料たっぷりのカレーや、中国で炒めものなどの料理が多いのは、
一つには気候的理由などで素材が痛みやすく、新鮮なものが手に入りにくいため、
それを誤魔化して食せざるを得ないという面があることを否定できないように思います。

話、数の子に戻りますが、
数の子を美味しく食するためには、新鮮な数の子であるという素材の理由が半分ありますが、
魯山人も言っていますが、歯の悪い人には、
数の子の美味なる音がその真価を発揮することができないというように、
食べる側にも半分理由があるように思います。
孤掌鳴らし難しではありませんが、
片方だけでは成就しない、二つのものがぱんと合わさって、
初めて、美味しいものがこの世に姿を現す。そんな風に自分的にはイメージしています。

正月、インフルエンザで寝伏していた時は、とても固形のものが喉を通りませんでした。
どんなご馳走を並べられても、病身ではそれを美味しく味わうことは到底できません。
病気になると、いまさらのように気付きますが、
ばりばり食べ物を咀嚼するということは、
本当にエネルギーの要ることで、健康でなければ、とてもできることではありません。

逆の言い方をすれば、新鮮な食材と、それを健康に食する人。
この両方が揃っていれば、口にするものは、美味しくないはずがない。
自分はそのように思うのであります。