らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【絵画】「塔」ジョルジュ・デ・キリコ

 
 
 
 
 
一見何の変哲もないタワーの絵。
しかし眺めているうちにどこか不安な思いが増してゆく。

しんと静まり返った世界。
塔の窓から誰かがじっと覗いている気配を感じるような、
しかし、一転、全く人の気配を感じないような、
その瞬間、ひょっとしたら、この世界には自分だけしか存在しないのではないか
という思いがどこからともなく湧き上がってくる。

その不思議な世界には、ダリの作品に垣間見えた無邪気さは感じられない。

どこまでも静まり返った突き放された世界。

しかし、ほんの微かに生命の残香のようなものも感じる。
その微かな気配の、希望のかけらみたいなものが、
却って一層、見る者の心を不安なものにするのかもしれない。

むしろ絶望まで針が振り切ってしまえば、
いっそのこと全てを諦め切れるのかもしれない。
しかし、そこまでに到らぬ不安とかすかな希望に交互に針が触れながら、
どっちつかずのまま、それは、悶々とずっと続いてゆく…



ジョルジュ・デ・キリコのこのような絵画は、
形而上絵画と称されるものです。
ここでは難しい説明はさておき、1910年代に、キリコが提唱した画法は、
まさに20世紀の人々の心を象徴するような作品のように感じます。

資本主義が高度に発達し、
オートメーションにより様々な商品が大量に製造され、
それが安価に人々に手に入るようになった、
そういう便利で幸せな時代が幕を開けたと思った矢先、
第一次世界大戦により、
それは、オートメーション的に大量にかつ簡易に人を抹殺することも
できてしまうものであることを思い知ったのです。

一度出来上がった技術というものは、もはや消し去ることはできません。
むしろ人間の意図するところから離れ、どんどん増殖してゆくものです。

この作品の、タワーの、真っ黒に塗りつぶされた、
内部を決して窺い知ることのできない窓は、
魑魅魍魎の、これから何が出てくるのかわからない不安感を
非常によく表しているような気がします。

自分がこのようなキリコの作品に初めて出会ったのは、
子供の頃、「ルパン三世vs複製人間」という劇場版アニメをテレビで見た時のことです。
http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E4%B8%89%E4%B8%96/146522/

 
クローン技術を駆使して永久に生き長らえ、この世を支配しようとするマモーに、
ルパン三世が挑むストーリーだったのですが、
屋敷に忍び込んだルパン三世が、
マモーの言い知れぬ不可思議な、不安な気配を感じ、
それを象徴するものとして
ジョルジュ・デ・キリコの作品が背景として使われていました。


 


科学技術が人々を必ず幸せにすると、
一時期まことしやかに言われていた時代がありますが、
得てして科学技術とは、天使と悪魔の2つの顔を持つものです。
ダイナマイトしかり、ロケット(ミサイル)技術しかり、原子力しかり、クローン技術しかり…

むしろ多くの人々を救うといわれる優れた科学技術ほど、
人々の生命や尊厳を瞬時に抹殺できてしまう、そのような気すらします。

そんな恐ろしい力を持ったものを、人類はこの先、完全に制御してゆくことができるのか…

キリコがこの作品を描いてから、ちょうど100年の月日が流れようとしていますが、
100年経って、当時より各段に科学技術が進んだ現在、
その得体の知れない不安感は、確実に増殖したようにも感じます。