「母という字を書いてごらんなさい」サトウハチロー
母という字を書いてごらんなさい
やさしいように見えて むずかしい字です
格好のとれない字です
やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
泣きくずれたり…笑ってしまったり
お母さんにはないしょですが
ほんとうです
今日は母の日ですね。
母の日…2回くらいだけ花を贈ったかな(汗)
あとは忙しさにかまけてスルーしてしまったりということも多々あります(^_^;)
でもメールは必ず送ります。
すると即座に返事が返ってきます。
昔、自分が高校生くらいの頃、弟は中学生で、父も仕事が忙しく、
男三人で母の日を完全にスルーしてしまったことがあります。
すると母は、母に盛んに尻尾を振るフウスケ(犬)に向かって、
「フウスケだけだわ、私のことをいたわってくれるのは。」
と聞こえよがしに、イヤミを言われたことがあります(^_^;)
それだけ聞くと、なんて思いやりのない家族なんだと思われるかもしれませんが、
人生トータルではひどい目にも遭っているので(笑)
まあ帳尻は合っていると思います。
(参考記事)http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/11081715.html
しかし考えてみると、母と息子というのはなかなか難しい関係です。
小学生の低学年くらいまでは、母の存在というのはほぼ全てと言っていいほどの存在です。
母がいなければ何も暮れていきません。
ところが、中学生間近になると次第にうざったい感情が芽生えていきます。
自分にとってなくてはならない存在という事はわかっているのです。
しかし日に日にうざったい感情の方がむくむくと大きくなってゆきます。
母の方でもそのへんの加減がわからないので、
息子に要求するものと距離を置くべきものとの誤差が生じ、
そこで下手をすると衝突が起こったりします。
世にいう思春期の反抗期と呼ばれるものです。
ただ、これは、やたらめったら反抗しているわけでなく、
人間としての自立心が芽生え、少しずつ独り立ちしてゆこうとする
生き物としての自然の心情なんだと思います。
しかし、大学生くらいになると、
それも徐々に収まって落ち着きを取り戻してきます。
それでも依然、これは放っておいてよいものなのか、声をかけてあげるべきものなのか
という母に対する葛藤?迷い?は続きます。
そういう意味で、母の事が気になりながらも、どうしたものかとつかず離れずで
中途半端なリアクションで終わってしまうことも多いんです。
サトウハチローさんのこの詩は、
しかし日に日にうざったい感情の方がむくむくと大きくなってゆきます。
母の方でもそのへんの加減がわからないので、
息子に要求するものと距離を置くべきものとの誤差が生じ、
そこで下手をすると衝突が起こったりします。
世にいう思春期の反抗期と呼ばれるものです。
ただ、これは、やたらめったら反抗しているわけでなく、
人間としての自立心が芽生え、少しずつ独り立ちしてゆこうとする
生き物としての自然の心情なんだと思います。
しかし、大学生くらいになると、
それも徐々に収まって落ち着きを取り戻してきます。
それでも依然、これは放っておいてよいものなのか、声をかけてあげるべきものなのか
という母に対する葛藤?迷い?は続きます。
そういう意味で、母の事が気になりながらも、どうしたものかとつかず離れずで
中途半端なリアクションで終わってしまうことも多いんです。
サトウハチローさんのこの詩は、
母に対する、そういう息子の心情を見事に表現したものに思います。
サトウハチローさんは本当にお母さん思いだったんだなと、
何か詩からにじみ出てくるものを感じますね。
よくお母さんのことを見ていらっしゃる。
それでも表面的には、ぶっきらぼうな息子さんだったと思うんですよ。
そういうものなんです。
サトウハチローさんは本当にお母さん思いだったんだなと、
何か詩からにじみ出てくるものを感じますね。
よくお母さんのことを見ていらっしゃる。
それでも表面的には、ぶっきらぼうな息子さんだったと思うんですよ。
そういうものなんです。
母と息子のよい関係というものは。たぶん。