【4月総括】
首都圏は桜が散ったと思いきや、
あっという間にゴールデンウイークに突入しました。
今の季節、暑からず寒からず過ごしやすい良い季節ですね(^^)
さて4月といえばフレッシュマンの季節でもありますが、
ここ数年、フレッシュマンの教育係に任命されておりまして、
男子だったら適当に抱き込んで、それなりにリラックスできるのですが、
女子はそういうわけにもいかず、
特に今年は女子メインであったため、妙な筋の張った疲労が蓄積しております(-.-;)
でもそれも今週でおしまい。
なにかホッとしたような物淋しいような(^_^;)
さて4月は図らずも夏目漱石づくしの月となりました。
夏目漱石「入学の辞」「鈴木三重吉宛書簡 明治三十九年」の2作品を読みましたが、
いずれも東大の教職を辞して、
あっという間にゴールデンウイークに突入しました。
今の季節、暑からず寒からず過ごしやすい良い季節ですね(^^)
さて4月といえばフレッシュマンの季節でもありますが、
ここ数年、フレッシュマンの教育係に任命されておりまして、
男子だったら適当に抱き込んで、それなりにリラックスできるのですが、
女子はそういうわけにもいかず、
特に今年は女子メインであったため、妙な筋の張った疲労が蓄積しております(-.-;)
でもそれも今週でおしまい。
なにかホッとしたような物淋しいような(^_^;)
さて4月は図らずも夏目漱石づくしの月となりました。
夏目漱石「入学の辞」「鈴木三重吉宛書簡 明治三十九年」の2作品を読みましたが、
いずれも東大の教職を辞して、
朝日新聞に転職した際の心情、決意といったものを述べたもので、
いわゆる表と裏の表情といってよいものですので、
いわゆる表と裏の表情といってよいものですので、
併せて読んでいただければと思います。
文豪として書斎に悠々と座っている漱石のイメージとは違う姿が
文豪として書斎に悠々と座っている漱石のイメージとは違う姿が
垣間見えてくるのではないかと思います。
そして今年の4月は夏目漱石「こころ」連載100周年ということもあり、
朝日新聞に「こころ」の復刻連載が始まりました。
それを記念して、それに関する記事及び本当に久々に自作小説もどき?を書きました。
「こころ」のテーマは知識人の孤独、
そして今年の4月は夏目漱石「こころ」連載100周年ということもあり、
朝日新聞に「こころ」の復刻連載が始まりました。
それを記念して、それに関する記事及び本当に久々に自作小説もどき?を書きました。
「こころ」のテーマは知識人の孤独、
すなわち人格的自我に目覚めたがゆえに感じる孤独といわれています。
現代人も孤独だといわれますが、
それは、「こころ」のKのように個が突出するがゆえの孤独(孤高というべきか)というよりは、
集団の中に埋没する孤独といいますか、
集団の中で均一化することにより個性を見失うことにより感じる孤独といいますか。
現代人も孤独だといわれますが、
それは、「こころ」のKのように個が突出するがゆえの孤独(孤高というべきか)というよりは、
集団の中に埋没する孤独といいますか、
集団の中で均一化することにより個性を見失うことにより感じる孤独といいますか。
要は集団から突出しようが、埋没しようが、
孤独というのは、人間について回るものなわけです。
ある意味、坂口安吾「桜の森の満開の下」での、
究極の美という価値において感じる孤独というのは、
前者の究極の例であるといえるでしょう。
また孤独というのは、必ずしも人間にとって忌むべきものとは限らず、
その個を際立たせ、自己発見するために不可欠なものでもあります。
それだけに孤独の論ずべきところは多岐にわたり、
普遍的テーマとしてふさわしいものといえるかもしれません。
また機会がありましたら取り上げていこうと思っています。
孤独というのは、人間について回るものなわけです。
ある意味、坂口安吾「桜の森の満開の下」での、
究極の美という価値において感じる孤独というのは、
前者の究極の例であるといえるでしょう。
また孤独というのは、必ずしも人間にとって忌むべきものとは限らず、
その個を際立たせ、自己発見するために不可欠なものでもあります。
それだけに孤独の論ずべきところは多岐にわたり、
普遍的テーマとしてふさわしいものといえるかもしれません。
また機会がありましたら取り上げていこうと思っています。
まあ、4月は、つらつらと小難しいことを色々述べてしまいましたが(^_^;)
5月はゴールデンウイークもあることですし、
音楽や映画など楽しい記事をたくさん書きたいと思っています。
5月はゴールデンウイークもあることですし、
音楽や映画など楽しい記事をたくさん書きたいと思っています。
また旅記事なども書きたいですね(^^)