らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「桜の森の満開の下」坂口安吾

 
 
これは凄い作品です。
今まで自分が読んだ作品の中でも、極めて心に残る傑作のひとつといえます。
読み終わった後、その幻想的な美の世界に
思わずふらふらっ酔ってしまったような気持ちになってしまう、そんな感じです。

美をテーマとした芥川龍之介地獄変」、三島由紀夫金閣寺」などにも勝るとも劣らない
読む者を惹きつける力に満ちており、
美とは何か、美に魅入られ、
深くそれに分け入ってしまうと人間はどのようになってしまうのか
ということをとことん追求した作品です。


その昔、鈴鹿峠に、
旅人が桜の森の花の下を通らなければならないような道がありました。
その桜は非常に美しく見事な花を咲かせましたが、
同時にその美しさは、凄みのある恐ろしさを感じさせるもので、
そこを通る人々は気が狂ってしまうような気がして
その道を避けるようになってしまったほどでした。


それから何年か経って、その鈴鹿峠に屈強で荒くれな山賊が住みつき、
ある日、街道から美しい一人の女をさらってきます。

その時、いつもと勝手が違うのを感じる山賊。
始めは亭主を殺す気はなかったのに、
女があまりに美しすぎたため、
ふと、それを斬りすててしまいます。
これは山賊にとっても意外なことでした。

美というものを残らず自分のものとしたい、独占したいという、
美の虜にされる人間の無意識な心理。

その時から、屈強で荒くれの山賊は女の言いなりになってゆきます。

「(山賊は)目も魂も自然に女の美しさに吸いよせられて動かなくなってしまいました。
けれども男は不安でした。
どういう不安だか、なぜ、不安だか、何が、不安だか、彼には分らぬのです。」
「アア、そうだ、あれだ。気がつくと彼はびっくりしました。
桜の森の満開の下です。
あの下を通る時に似ていました。
どこが、何が、どんな風に似ているのだか分りません。
けれども、何か、似ていることは、たしかでした。」
 
 
美というものは人間にとって必ずしも心地よいものではなく、
際限なく人間をその深みに引きずり込み、
手に入れても手に入れても飽くことのない、
追い求めても追い求めても満足するところがないため、
それを求める人間はいつしか不安にかられるようになる。
挙げ句、それでも美を追い求めようとする人間の
全てを奪い取ってしまう恐ろしい魔の世界のものでもあります。

女に深入りするにつれ、引きずり込まれて抜けられなくなり、
されるがままの言いなりになってしまう男。
美に魅入られ、深く足を踏み入れてしまった人間の姿が見事に表現されています。


そして女は、ただ、ひたすら、美しい。そして、残酷。
そして、その欲望は、限界を知らない。
時には、人間の死というものさえ弄んでしまう。

一見グロテスクに過ぎる女の首遊び。
しかし、これは、そのような通常、人が忌み嫌うような死の世界のものであっても、
美はそれを対象として愛(いと)おしむものとしてしまう、
必ずしも心地よいものだけが美の対象ではない、
美の世界の不気味な底知れぬ深みのようなものを感じざるを得ません。

そしていつしか美に取り憑かれた男は女の一部となり、
離れがたい存在になっていることに気がつきます。
女の姿に鬼を見て、男は必死にこれを引き剥がそうとしますが、
すでに美の虜(とりこ)となり、
女の一部となっていた男も、結局は女と運命を共にしてしまうのです。


「彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。
彼の手が女の顔にとどこうとした時に、
何か変ったことが起ったように思われました。
すると、彼の手の下には降りつもった花びらばかりで、
女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。
そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も、
延ばした時にはもはや消えていました。
あとに花びらと、冷たい虚空がはりつめているばかりでした。」



美というのは、おぼろげで儚く消え去って逝ってしまうもの。
それでも人は美に魅入られ、美を追い求める。
人にとって美とは涯(はて)のないもの、
美というものは深遠で残酷で嫉妬深く、
人を惹きつけて心を離さないもの。

この作品は満開の桜の花をモチーフにした、
詩のような極めて美しい作品です。
それだけに桜の花に重ねられた美というものが浮き彫りになり、
散りゆく桜の花びらのごとく我々の心にひとひらの哀切を残しながら、
いつまでも心に残るものとなっているように思います。