らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【テレビ番組】NHK連続テレビ小説「花子とアン」

 



 
4月になりましたね。
普段はテレビをほとんど見ない自分ですけれども、
4月から、ちょっと見たいなと思っている番組があります。

それはNHK連続テレビ小説花子とアン」。
赤毛のアン」の翻訳者村岡花子さんの半生を描いた物語です。

村岡花子さんが翻訳した作品「赤毛のアン」のことはよく知っていても、
今まで彼女自身の生い立ちは知りませんでした。

明治26年山梨の小作農の家に生まれた彼女は、
東洋英和女学校へ入学し、同校でカナダ人宣教師から英語を学びます。

これが彼女の翻訳者としてのスタートとなったわけですが、
明治の時代に小作農の家で女学校に通うって
今では想像できないことだと思うんです。
たとえ良家の子女であっても、女に教育なんかと言われた時代。
それができたというのは本人の努力もそうですが、
両親をはじめ家族の後押し、協力、
ひいてはそれ以外の人々の有形無形の助力というものがなければ
絶対になし得なかったことだと思うんです。
まずそのあたりの人間ドラマに、とても興味があります。

また文学のブログをやっている者としては、
翻訳者としての主人公のあり方みたいなものにも興味があります。

文学の翻訳って機械的に英語を日本語に当てはめる作業ではなく、
一種の芸術の再創造だと感じています。
例えば、「beautiful」という英語は「美しい」という訳が通常あてがわれますけど、
2つの言葉の意味は完全に同一なわけではないので、
その使われる場面場面によってニュアンスが微妙に全部違うと思うんです。

使われている描写が、景色に関するものなのか、人に対するものなのか、心に関するものなのか、
悲しい気持ちの時のものなのか、楽しい気持ちの時のものなのか、苦しい気持ちの時のものなのか、
日本語に写し変える時の言葉が異なってくる。

そういう作品中のニュアンスを汲み取って、
それぞれ最も適切な日本語をあてがい、
必要であれば原作にない言葉を付け足し、表現を構築するのというのは、
芸術の再創造そのものだと思うんです。

ある意味、それは、翻訳者村岡花子さんと原作者モンゴメリ
ひいては物語の主人公アンとの対話に他なりませんから、
作品に静かに向かい合って対話する、
時には、苦しみながら対話しようと苦悶する姿というものも描写して欲しいと思っています。

村岡花子さんの半生を見ますと、
彼女の翻訳した「赤毛のアン」が出版されたのは60歳の時なんですね。
それだけに、この「赤毛のアン」という作品に彼女の人生が凝縮されているといえますし、
また再度、村岡花子さん翻訳による「赤毛のアン」を読む際に、
彼女の心根のようなものが投影されて、
また違う作品の魅力を感じることができるかもしれないと思っています。




赤毛のアンの過去記事
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/12147953.html




24歳の時の村岡花子さん
大学を卒業し、出版社に編集者として勤め始めた頃