らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【父の死】食は生なり

 

この連休中、春分の日はいわゆるお彼岸の中日で、
実家の名古屋に帰省して父の墓参りに行って来ました。

今まで仏事というものに疎かった自分ですが、
父の死をきっかけにいろいろ覚えまして、
お彼岸についても、ネットなどで詳しく説明されていますが、
改めてへえーっと思うことが多いです。

お彼岸というのは自然の変化、運行というものに敏感な日本人の感性が、
仏教と結びついて日本独特の行事となったんでしょうね。

いわゆる秋分の日もお彼岸なわけですが、
春に咲く牡丹にちなんで春分のお彼岸に食べるのがぼたもち(牡丹餅)、
秋に咲く萩にちなんで秋分のお彼岸に食べるのがおはぎ(お萩)。
食べる季節により呼び方が違うだけで、
食べ物としては同じものなんてとても面白いなと思います。

昔の人ならごく基本的だったことも、
お彼岸というものを暦の上では知っていても
実体験としてはほとんど縁のなかった自分としては新鮮な感じがします。

自然の運行と亡き人を敬う心と季節の花と美味しい食。
これらが合わさって為されるお彼岸というのは、
人間の心に寄り添う優しいイベントなのだなと感じます。


さて、今回は美味しい食ということがらみでお話をしたいと思いますが、
今回の春分の日にも亡き父の兄弟衆も寺に集ってくれました。
今年になって葬式やら四十九日やら月1回以上顔を合わせて、
その度に一緒に会食させていただいていますが、
その都度驚くのが兄弟衆の食の太さ。

一番上のお姉さんは御年88歳で、その御主人は90歳なのですが、
かなりの量のうどんと、かやくご飯、天ぷら、茶碗蒸しといったメニューを
残らずパクパク召し上がってしまうほど(^_^;)
「わしゃ、茶碗蒸しが大好きでよお」などと言いながら、ペロリと平らげてしまいます。
御主人などはその後、お酒なども五合ほど普通に飲まれます。
そして、自分に対して、「もぞちゃん、もう飲まんのか」
としきりにお酒を勧めてくれるのです。

そこで思ったのが、「食は生なり」。
翻ってみれば、亡き父は非常に食が細い人で、
酒は大好きでしたが、そのつまみ程度におかずを食べるだけだったような記憶があります。
そのせいだけではないのかもしれませんが、
四人兄弟で同じ遺伝子を持ちながら、
88歳の姉、78歳の兄、70歳の妹の中で一番最初に亡くなってしまいました。

出された料理を残さず平らげるお姉さん達を見ていると、
食べている姿そのものがとても力強く、生というものを強く感じます。
人間は滋養のあるものを太く食べなければ強く生きることができないのだなと思います。

こういう考え方は古代中国からあったようで、
司馬遷史記では、今から二千数百年前、
齢七十を過ぎた老将が牛一頭を一気に平らげて
自己の健在ぶりをアピールする様子が描写されており、
太い食は太い生、強い生につながるということを物語っているように思います。

自分ももぞ家の遺伝子を受け継いで、相当食が太いので、
頑張れば、太い生、強い生を送れることができるかもしれません。


ちなみに兄弟衆には肥満の人は一人もいません。
なんでも好き嫌いなく、肉なども普通に召し上がりますが、
脂っこいものはあまり好まず和食中心です。
家の事やお出かけなどでよく体を動かしておられるようで、
ある意味、良き太き食を続けてきたということなんでしょうね。




自分の故郷名古屋及び父の実家岐阜のぼたもちは、
このようなほぼ真ん丸な形の粒あんのものだったように思います。
きなこやずんだは無かったような…
土地柄によっていろいろあるようで、これも面白いですね。



参考記事
古代中国の武将廉頗(れんぱ)の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/5931518.html
自分の食の記事