らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「雪女」小泉八雲

 

 

先週末、首都圏は何十年ぶりともいう大雪に見舞われました。
この時は雪のみならず台風のような大風も吹き荒れ、
横浜の街は、自分が今までに体験したことのない猛吹雪となりました。

その時、自分は、と言いますと、その数日前から喉風邪を患い、
それに伴う熱もあり、ずっと床に伏せっておりました。

それで仕方なく、聞くともなしに外の猛吹雪の音を聞いて過ごしていたのですが、
どおおおおっという野太い風の後に、
ひゅーんひゅーんという、まるで女の声のような、
空気を切り裂くような風の音。
果てしなく続くその繰り返し。
それはほぼ丸一日続きました。

猛吹雪が去り、雪雲が取り払われ晴れた外を眺めると、
銀色に輝くパウダースノーにおおわれた真っ白な街。

恐ろしさと美しさの二つの顔をもった雪の世界。
このようなところから生まれたのが、
「雪女」の伝説なのかもしれないと思いました。
今回の作品は小泉八雲「雪女」。

出典については、いつもの通り青空文庫のものでもよいのですが、
この作品については素晴らしい絵本があり、そちらも併せて推薦します。



http://www.ehonnavi.net/ehon00_opinion.asp?NVKB=E00&no=12357
この絵本の作画を担当している伊勢英子さんの絵は、
恐ろしく、美しく、妖しく、かつ儚(はかな)くもある雪女の世界を見事に表しており、
原作の魅力を何倍増しにもしています。

おそらく図書館にも所蔵されていることと思いますので、
ぜひ探してみてください。


さて、雪女伝説は日本各地にありますが、
この話は武蔵国、今の東京都の奥多摩地方に伝わるもののようです。

年老いた茂作と若い巳之吉の木こりの二人は、
ある大層寒い晩、山からの帰り途で大吹雪に遇います。
そして、その吹雪の夜、避難していた小屋で、
巳之吉は不思議な体験をします。




彼は顔に夕立のように雪がかかるので眼がさめた。
小屋の戸は無理押しに開かれていた。
そして雪明かりで、部屋のうちに女、――全く白装束の女、――を見た。
その女は茂作の上に屈んで、彼に彼女の息をふきかけていた、
――そして彼女の息はあかるい白い煙のようであった。





その描写の伊勢英子さんの絵がこちらなんですが、

人は凍死する寸前、意識が朦朧として
ある種の恍惚感を得るといわれています。

この絵は、雪女という存在を介し、
凍え死ぬということの恐ろしさ、容赦のなさ、不気味さ、妖しさ
といったようなものを見事に表現しているように思います。


しかし若い巳之吉は美少年ということで雪女に命を救われます。
この部分、若いイケメンだから助かったのかということに目が奪われがちですが(笑)
現実的には、巳之吉は若くて体力があったこと、たまたま寝ていたところが運が良かったゆえ
命が助かったということなのでしょう。
ある意味、情け容赦ない自然の気まぐれ。

雪女は、自分に会ったことを他の誰かに言えば、
直ちに殺すと固く口止めし、その場を立ち去ります。

それから一年後の冬、巳之吉は雪という名前の少女と出会い、結婚します。
雪は、巳之吉の母にも可愛がられ、巳之吉との間に十人の子を為します。
ということは二人は十年以上仲睦まじく夫婦として暮らしていたことになります。

そこで幸せに満たされた巳之吉が、
ある冬の夜、昔の恐ろしい吹雪の夜の出来事をつい気が緩んで、
愛する妻にふと話してしまうというクライマックスに入るわけですが…

どうして雪女は俗世の幸せを捨てて立ち去ってしまったのだろうか、
話を聞き流すこともできたはずだし、他の人間に自分の存在がばれたわけでもない。

理由として考えられるのは、
巳之吉が自分との約束を破った、つまり掟に背いた、この一点です。

思うに、雪女は自然そのものが化体した存在なわけです。
自然、特に冬場の厳しい風雪にさらされた自然は
人間にとって情け容赦ない残酷な一面を持っています。
しかしひょんな自然の気まぐれで巳之吉は命を救われた。
ところが長い月日が経つ間に、自然と交わした厳しい戒めをふと気が緩んで忘れてしまった。
情け容赦ない厳しい冬の自然にとって、
気の緩んだ人間には死が与えられるのみの存在です。

そういう冬の厳しさを象徴したのが雪女の物語の結末であるのかなと、
そう感じました。

逆を言えば、雪女と交わした戒めを固く守り続けていれば、
巳之吉はずっと幸せな生活を送れたわけです。
厳しい自然と末長く共存していくために守らねばならぬ厳たる戒め。

冬、ひいては自然の恐ろしさから遠ざった生活を営む現代人にとっては、
今ひとつピンとこないところがあるかもしれません。
しかし、それは巳之吉と同様に、現代人の自然に対する気構えが緩んでいるだけであり、
厳たる自然の戒めは今現在も生き続けているのではないか。
ちょっとそんなことを思ったりしました。