らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「果物」八木重吉

 
 

 
 
 
 
秋になると

果物はなにもかも忘れてしまって

うっとりと実のってゆくらしい


八木重吉
 

首都圏は、すでに晩秋で、紅葉も色濃く染まりつつある今日この頃ですが、
自分は久しく秋を素通りしておりました。
毎日朝から夜遅くまで、鉄筋コンクリートのビルの中で、
ギリギリと仕事のことで考えることばかり多くて、
秋を感じることがなかなかできなかったのです。

ですけれども、この詩のおかげで、
秋の匂いが鼻腔に触れるような、感触を感じることができました。


考えるということは、この世界で、
人間にだけに与えられた心の有り様です。
考えることで、人は理論を明確にし、整理させ、社会を発展させてきました。
が、しかし、考えるということは、
その明確で輪郭がはっきりした心の有り様であるがゆえでしょうか(特に近代以降は)、
心を形造る柔らかい外壁と接触し、
考えることが多くなればなるほど、それとの摩擦が激しくなり、
心がすり減っていってしまうことがあります。


もうひとつ、人間の心の有り様には、感じるというものがあります。
感じるという所為は、何かふわふわと宙に浮いていて、
ぼやっとして、つかみどころがなく、
考えるという明確な意識と比べると、いかにも頼りなげな心の有り様です。

が、しかし、考えること、感じること、それぞれは車の両輪のようなもので、
両方バランスよく回り合うことにより
スムーズに心を進ませることができるように感じます。

別の例えでいえば、考えること、感じることは、
それぞれ不可欠な異なる栄養素みたいなもので、
考えることが、いかに素晴らしい栄養素とはいえ、
そればかりでは、心が偏り歪みが生じ、
結局、心の健やかさを損なってしまう、というところでしょうか。




ところで、今回紹介しました作品は、八木重吉という詩人の作品ですが、
自分は彼の作品に心惹かれるところがあって、
その作品を今までに何度か書いています。
興味ある方は書庫「八木重吉」をご覧になってみてください。
こちらの過去記事は「秋の瞳」という作品について書いたものです。
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/8420251.html