らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「台風」与謝野晶子

 

先週、台風26号が来襲し、
今週もまた27号が日本列島を伺う気配の昨日今日となっていますが、
本日は、首都圏も厚い雲に覆われた重い空の朝となっています。

そこで今回は、与謝野晶子「台風」という随筆を読んでみました。

時代は今からちょうど100年くらい前の大正時代半ば。
欧州では、第1次大戦が激しくなりつつあった時期。
日露戦争で「君死にたもうことなかれ」の詩を書いた与謝野晶子も、
遠い欧州での戦争であるせいか、
気持ち、少々ゆるやかなようにも見受けられます。

この文章を読んで、驚いたことが2つ。

まず「台風」という言葉が、この頃から使われ出した新語だったということ。
 
それまで台風に当たる言葉は「野分(のわき)」だったわけですが、
筆者は、台風の語感は科学的なイメージがあり、
新しい時代の装いがあるというようなことを言います。
即ち、今までの世では、野分で事足りたけれども、
科学的進歩の著しい今日では、野分では、情緒的表現に偏っており、
その言葉が時代のサイズに合わなくなってきている。
そこで「台風」という新しき言葉に期待するとともに、
「新しい詩人は台風を歌つて野分以上の面白い新篇を出すであらう。」
と期待を込めて予言しています。

実際はどうなんでしょう。
自分は不勉強ゆえ、台風の過去の名句がすぐには浮かびませんけれども。
しかし、このように台風という新語にかこつけて、
新しい時代には、新しい言葉や考え方が必要なのだという
進取の気質に富んだ筆者の意気込みが伝わる一節となっています。

そして、もう1つ驚いたことは、
当時東京の電気は、夏の間のみ昼間の時間帯に送電されていて、
それ以外の時期は、昼間は電気が供給されていなかったこと。

東京でさえそうなんですから、地方などいわんやをやでしょう。
まあ当時は冷蔵庫やテレビ、ラジオ、エアコンなどありませんから、
確かに昼間は電気は、さほど必要なものでなかったのかもしれません。
携帯の充電やパソコンなども当然ありませんしね(^^;)
そう思うと現代は、本当に贅沢にたっぷりエネルギーを使っているんだなと思います。

しかし、こういう時、電気が無いのが当然として生きてきた筆者は、
特に困惑することもなさげに物書きなどを続けています。

ところで、この文章中の台風、あまり大型でない中規模なものなんでしょうか。
「雨風の音を聴きながら電燈の附いた書斎で之を書いて居ると、
なんだか海の底に坐つて居る気がする。」
などと、筆者ものんびりしたことを言っています。
確かに、これは、言い得て妙な面白い表現だなとは思います。

こんなことが想像できる程度の風情ある台風ならよいのですが、
大きな被害をもたらすような大規模の台風は本当に危険です。
それは100年前も今も変わりませんし、
海沿いや川沿い、そして山の迫った場所に
ひしめくように人家が建て込んでいる現代の方が、
危険は、当時より更に大きくなっているといえるかもしれません。

100年経って科学技術が一層進歩したといっても、
人間の存在など猛威を振るう自然の前では、
ちっぽけなものであることには変わりありません。

台風接近の際には、くれぐれもお気をつけくださいますように。
 
 

 
 青空文庫  与謝野晶子「台風」