らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「あんぱんまん」やなせたかし



 

先日、「アンパンマン」の作者やなせたかし氏が、94歳でお亡くなりになりました。
1988年に「アンパンマン」のテレビアニメが放映開始されて以来、
もう四半世紀も子供達の人気キャラとして、不動の地位を占めているアンパンマン

しかしながら、自分はアニメのアンパンマンに親しんだ世代ではありません。
自分が知っているあんぱんまんは、初めて出版された絵本の中のあんぱんまんです。

そこにはアニメでお馴染みのバイキンマンドキンちゃん
友達のしょくぱんまんカレーパンマン、バタコさんは、一切出てきません。
登場するのは、あんぱんまんとパン工場のおじさんだけです。
ジャムおじさんという名前も無かったように思います。

その絵本の話は、道で行き倒れになりかけた旅人に、
どこからともなく空からあんぱんまんが舞い降りてきて、
その旅人に、そっと、あんぱんのかけらを与えます。

非常に物静かで、アニメのようなにぎやかしい雰囲気は一切ありません。

それは、あたかも静かに流れる詩のような、
不思議な、静寂に包まれた物語です。
絵も全てが夕暮れの茜(あかね)色に覆われているような、
独特な静けさ、なにか寂しさのようなものすら感じるものです。

あんぱんまんは、旅人に食べたいだけお腹いっぱいあんぱんを食べさせ、
無事に安全なところまで送り届けますが、
その帰り道、顔のほとんどを失って、力尽き、空から落ちてしまいます。
しかし、そこがちょうど、おじさんのパン工場の煙突で、
あんぱんまんは、パン工場のおじさんに
ふかふかの温かいあんぱんの顔を作ってもらい、
再びまた困っている人の下に飛んでゆく。
というところで物語は終わります。

生前、やなせ氏は、「僕は自己犠牲が伴わない正義は正義と思わない。」
ということをおっしゃっていたといいます。
あんぱんまんが、自らの顔のあんぱんを他人に分け与える行為は、
まさにその言葉を裏付けているもののように思います。
顔とは人間の一番人目につく大切な部分です。
その顔の一部を他人に分け与えるというのは、
まさに究極の自己犠牲の姿であるというように感じます。

そして、そのあんぱんまんは、
いわゆる完全無欠の不死身のヒーローではありません。
自分の顔が欠けてしまえば、力を失ってしまう
ある意味、弱さを持ったキャラとして描かれています。
しかし、そのように力を失ったあんぱんまんも、
パン工場のおじさんから新しい顔を作ってもらうことで、再び力を得ることができる。
正義とは決して孤高のものでなく、無数の人々の助けを借りて力を得、
再びはばたいてゆくことができるもの。

アニメでは、にぎやかしい色々なキャラの登場で、
あんぱんまんのメッセージが見えにくく、わかりにくくなっていますが、
この初版の絵本には、そのようなものが、全て削ぎ落とされていて、
あんぱんまんのエッセンスが明確に表れているように思います。

1973年に初めて掲載された、このあんぱんまんの絵本、
当時は顔を食べさせるというコンセプトが理解を得られず、
不評だったとの話も聞きます。

おそらく図書館などにこの絵本、置いてあると思いますので、
興味のある方はぜひご覧になってみてください。