らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「ラムネ氏のこと」坂口安吾

 


 

冒頭、筆者とその友人小林秀雄らは、ラムネの話で盛り上がります。
ラムネの、あのビー玉の入った瓶はラムネー氏という人物が発明したのだ云々かんぬん。

真偽の程は定かではありませんが、
ラムネの瓶は、自然に存在するものでない以上、
誰かが人為的に発明したものには違いありません。
別に普通の瓶に炭酸ソーダを入れればよかったものを、
わざわざビー玉の仕掛けを瓶に作り込んで、
人生の労力を注ぎ込んだラムネ瓶の発明者。

世間の人はこんなものに心血を注ぐなんて…
と馬鹿馬鹿しく思うかもしれませんが、
筆者は、実は、このような一見馬鹿馬鹿しいと思われることを、
ひたすら真剣にやってきた無数のラムネー氏のような人々が、
常に新しい世の中を切り開いてきたと力説します。

ここで、筆者が例えに出したのが、フグを食するということ。
現代において、猛毒をもつフグを安全に食べられるようになった陰には、
過去において、名も無き幾十幾百の殉教者達がいたはずであり、
そのおかげで現在美味しくフグを食べられるようになったのだと。

確かに最初からフグの毒の部分を上手く切り分けて
食することなどできたはずがなく、
それこそ無数の人間が毒に痺れたり、下手をすると命を落としてしまって、
それでも粘り強くフグを食べ続けた結果(^_^;)
現在のあの美味しいフグ料理にありつけるわけで。

どうして毒で死ぬかもしれないのに、
彼らはフグを食べ続けたんでしょうか(^_^;)
よくよく考えれてみれば、
馬鹿馬鹿しいことには違いありません。


あと納豆なんていうのも、
最初に食べようとした人は、どういう気持ちだったんでしょう。
なにかひょんなことで偶然遭遇した
ネバネバと糸をひいた、見るからに怪しげな煮豆。

それを食べようなどとは、
よほどお腹がすいていたのか、食に対する貪欲な探求心を持った人だったのか(^_^;)

今ならともかく、昔は衛生状態が不完全ですから、
発酵といっても、腐敗と紙一重だったと思うんです。
それを匂いを嗅いでみて、これは腐っているのとは違うものを俺は感じる、
とネバネバし糸をひいた煮豆を食べ続けた名も無き勇者達。

しかもさらにすごいのは、
その後に続く勇者も少なからずいたということですよ(^_^;)

納豆も暗黒時代があったと思うんです。
あの人、ネバネバした変な煮豆が好物なんだって、
と異性に陰口を叩かれたこともあったかもしれない。
誤って腐ったものを食べて、何日も腹痛に苛まれたこともあったかもしれない。

それでもネバネバした怪しげな煮豆を食べるのをやめようとしない人達(^_^;)

しかし、ひとつ言えることは、
馬鹿馬鹿しいからといって、そこで、その存在を無視していれば、
現在納豆は存在しなかったということ。
その一見馬鹿馬鹿しい無名の先人達のおかげで、
現在、世界に冠たる発酵食品たる納豆を安全に美味しくいただけるわけです。

このような勇気と好奇心とチャレンジ精神の固まりであり、
その果敢な真面目さが、ちょっと可笑しくもあるラムネー氏の人達。

前に記事で書いた、自分自身を実験台にした
科学者達など、その最たるものでしょう。
また、作品で書かれたフグを食材とした者然り、キノコを食材とした者然り。
文学の新しい表現者然り。

人間とは未知なもの、新しいものに挑んでいくという
遺伝子が心に深く刻み込まれた生き物なのかもしれません。

それが人生の巡り会わせにより、挑む対象が、
フグだったり、納豆だったり、キノコだったり、ラムネだったり、文学だったりするだけなわけで。

そして、このような新しい世の中を切り開くというのは、
何か大きな発明や発見をするというようなことには限りません。
ラムネのビー玉が、瓶にカランコロン当たる音を楽しみながら、
ビー玉を上手く回しながら炭酸ソーダ水を飲む。
こういう一時(いっとき)の清涼を作り出すような、ほんの些細なことでも、
それは新しい世の中を切り開く
ということなのだと筆者は言います。

「結果の大小は問題でない。
フグに徹しラムネに徹する者のみが、とにかく、物のありかたを変へてきた。
それだけでよからう。
それならば、男子一生の業とするに足りるのである。」
と筆者は締めくくります。

それを読んで、大いに賛同しながら、
自分は果たして何かに対するラムネー氏たりえているのだろうか。
馬鹿馬鹿しいとか、面倒くさいとか、無意味だとか決めつけて、
自らそのモノの可能性を消し去ってしまっていることはないのだろうか。
と省(かえり)みるわけです。





 
フェリシテ・ド・ラムネー氏肖像