らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【クラシック音楽】グレン・グールド 後編

 

グールドの、自分なりのイメージは、
孤高の求道者、修行者といったものに近い感じなのかなと思うところがあります。

例えば、僧侶に例えれば、
民衆の面前で素晴らしい説法すれば、それを聞いた人々は興奮し賞賛する。
しかし、いつしかそれは何が真理かということよりも、
どうすれば民衆を興奮させ、支持を得ることができるか、
ということにすり替わってしまう危険がある。
また、それ自体は真理といったものとは、無関係で虚ろなものに過ぎない。
そして、その煽動的興奮は、頭でわかっていても、
その場にいる限り逃れることができない。
 
だからこそ、そこから離れて、独りとなり、自分自身と対話し、
真理とは何かということをつきつめて求めていかなければならない。

一人になって求道し、その結果、得られたものを綴った書にあたるのが、
グールドの場合、レコードだったわけで、
扇動的興奮に陥りやすい民衆への説法がコンサートというわけです。

非常に繊細な天才肌な人に感じます。
コンサートと掛け持ちで十分よかったんじゃないかという向きもあるでしょうが、
人はそれぞれ自然に存在するもの同様、
心の形もそれぞれ異なるものです。
それは彼自ら、自分自身を生かすため考え抜いた選択だったのでしょう。

しかし、グールドは、40代半ばで指の痺れが生じ、
レコードによる演奏活動も停止せざるを得なくなります。
グールドを音楽に誘(いざな)った最愛の母は、脳疾患で若くして亡くなっており、
その時、ひょっとしたら、彼の脳裏に死の影がよぎったのかもしれません。

必死に指のリハビリに励み、
50歳を目前にしてゴールドベルク変奏曲の再録を決意。
その演奏から1年足らずで脳卒中で死去。
享年50歳。

音ひとつを慈しみ、かみしめるように弾いた最期の演奏。
デビューの旧録が、生命のきらめく躍動感を表しているなら、
最期の新録は、日の光に照らされ、きらきら輝く木々の葉を
静かに一枚一枚みつめ、
そのひとつひとつにそれぞれ命が宿っているのを
確かめていくかのような、そのような営みを感じます。

 
そして、グールドが、いつも傍らに置き、
何度も繰り返し読んだとされるのが、夏目漱石の「草枕」。
 
主人公が俗世間を離れ、芸術の在り方を模索する
この物語をグールドは、こよなく愛したといわれています。
表現の飽くなき追求者であった彼が、
ラジオで自ら朗読したこともある、その一節、




雲雀(ひばり)はのどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、
又鳴き暮らさなければ
気が済まんと見える。

その上
どこまでも登って行く、
どこまでも登って行く。

雲雀は屹度(きっと)
雲の中で死ぬに相違ない。

登り詰めた揚句(あげく)は、
流れて雲に入って、
漂うているうちに
形は消えてなくなって、
只(ただ)声だけが
空の裡(うち)に残るのかもしれない。