らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【テレビ番組】ドラマ「人間・失格」~たとえばぼくが死んだら

 

前回紹介した「プロゴルファー祈子」から7年ほど時代が下ります。

80年代に全盛だった校内暴力や不良といったものも影をひそめ、
時代は、一応の落ち着きをみせた観もありました。
しかし、社会は新たな問題に直面しつつありました。
それはイジメ問題です。

このドラマは、名門私立中学を舞台に、
いわゆるイジメ問題をテーマに描かれた物語で、
1994年夏に放送されたものです。




脚本 野島伸司
出演者 赤井英和桜井幸子堂本剛堂本光一黒田勇樹斉藤洋介加勢大周

80年代の校内暴力という問題は、
外に向けて、大きなアクションがありますから、
大変な問題ではありますけれども、
問題の直接の震源というものは、
比較的捕捉しやすい部分がありました。

しかし、いわゆるイジメ問題は、
校内暴力と異なり、大きなアクションがないため、
問題の直接の震源が捕捉しづらく、
知らずのうちに問題の病根が、
大きくなってしまう面があります。

またイジメ問題は校内暴力より、
はるかに広範に起こり得る問題です。
校内暴力は、ドラマの舞台の名門私立のような学校では、
ほとんどありえませんでしたが、
イジメ問題は起こり得ますし、
それはまた大人の世界でも然りです。

さらに、校内暴力では、加害者と被害者の関係が、
比較的単純な図式であったのに対し、
イジメ問題は、その関係が複雑です。
ドラマに沿って例を挙げますと、
イジメに加わっていた者がかわいそうに感じ、
イジメを止めようとしたところ、
今までの仲間から逆にイジメのターゲットにされてしまったり、
イジメの対象だった生徒を救い出してやったのに、
救い出された生徒が、自らの立場を失わないように
イジメの側に加わってしまったり、
加害者と被害者が容易に入れ替わってしまう恐ろしさがあります。

そして、それを監督する立場にあるはずの教職員も、
学校の名前に傷がつくからと
世間からイジメの事実をひた隠しにしようとしたりと、
本来被害者である生徒を守るべきはずの人々が
あたかも加害者側の行為を黙認するかのごとき態度を取ることがあります。

要は自分の身や立場を守ることばかり考えている人々が、
イジメ問題を大きくし、それを放置している。
そんな図式が浮かび上がってきます。

ドラマでは、赤井英和さん扮する息子を失った父親が、
少年を死に至らしめた人間達に復讐を果たしてゆき、
主だった関係者が、ほぼその報いを受けるという
現実ではなかなか起こり得ない、
しかしながら視聴者が見ていて一番溜飲の下がる結末で、幕を閉じます。
復讐を果たした父親は、最後、刑務所に入ってしまうんですけれども。

そして、ラストで桜井幸子さん演じる新米教師が、
全生徒の前で次のようなことを述べます。

「すべての心無い人が少年を殺したということ。
他者を傷つけることで生きている実感を
持とうとしているのではないかということ(を自覚すること)。
そして、自分を愛するように他者も愛して欲しいということ。」

おそらく、これが制作者の
イジメ問題に関するメッセージなんでしょうね。
自分も心の在り方としては、このメッセージに大いに賛同するものです。

しかし、我々は心の在り方はそうだとしても、
現実に社会問題としてのイジメに
どう対処すればよいのでしょうか。

イジメ問題というのは、得てして閉塞した社会に多発するものです。
閉塞した社会とは、例えば、軍隊、学校、場合によっては会社などですが、
要は容易にそこから抜け出すことができないものをいいます。
このような社会は閉塞しているがゆえに、
そのヒステリックな閉塞感の吐け口を外に向けることができず、
その中の最も弱い部分に向けようとします。

これを避けるための最も簡易な方法は、
その中から抜け出すことです。
学校でいえば転校でしょう。
劇中でも、主人公の少年は、
暗に転校をしたいとシグナルを送りますが、
自分が無学なラーメン屋の父親は、
成績優秀な息子を誇りにし、その将来を期待しており、
心優しい息子は父親のその気持ちを察して、強く言うことができず、
結果、自分を追い詰めていってしまいます。

あの時、息子のシグナルをしっかり読み取っていれば…
と父親は悔恨します。
厳しい言い方をすれば、父親自身も自己の願望ゆえに、
息子の心のSOSを読み取ることをないがしろにしてしまった。
自分もある意味、息子を死に追いやった一人なのかもしれない…
そう考えて父親は蕭々と刑務所に服役したのかもしれません。

つまり被害者は声なき声でシグナルを発し続けているはずであり、
家族や親しい人間は、それによくよく耳と心を澄まして
キャッチしなければなりません。

さらにイジメというものは絶対に許されるべきでないことを、
社会的に徹底的に認知させねばなりません。
そうすれば、被害者が他人に訴えやすい雰囲気も整いますし、
無関心であった第三者もイジメというものを意識し、
積極的な対処ができるようになるのではないかと。
そして何よりもイジメをする人間というのは
自分のやっていることが世間に露わになることを嫌がりますから
イジメをオープンにすることを
徹底的に反復してアナウンスすることにより
抑止効も働くようになるのではないかと思うのです。

あとイジメ問題というネーミング自体が、
正常な行為ではないけれども、
かといって犯罪でもないというような中間的なイメージで、
問題の根底を曖昧にしているような気がします。

本来学校には、その運営のために自治的なものが認められているわけですが、
いじめ行為は、程度によっては、
もはやその自治の範囲内では解決不能な犯罪行為であり、
本来なら警察機関の関与を認めざるをえないはずのものです。
それが嫌なら自浄作用を強化するべきであり、
それもせずに、イジメを放置する管理者たる教職員は、
二重の意味で罪を犯しているといえます。


少し記事が長くなってしまったので、
最後にひとつだけ。

このドラマの主題歌である
サイモン&ガーファンクルの「冬の散歩道(A Hazy Shade of Winter)」
が非常に印象的で耳に残っているのですが、
その歌詞をよくよく味わってみると、
いじめを受けた人間とそれを助けようとする人間との
静かな語らいのようにも聞こえるような気がします。
http://www.youtube.com/watch?v=bnZdlhUDEJo
ドラマの主題歌を選定する人って、
よくこんなの見つけてくるなと
感心することが多々あります。
興味ある方はぜひ見てみてください。

http://www5.ocn.ne.jp/~tyun/HazyShade.htm
和訳歌詞についてはこちらを参照しました。
原文の英語を読んで、これを参考に
御自身で訳してみるのもよいかもしれません。


なお、このドラマの題名でピンときた方もいらっしゃると思いますが、
人間失格」はご存知の通り、太宰治の代表的作品の題名ですよね。
次回の記事で、ちょっと絡みのあたりを蛇足的に書いてみたいと思います。