らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「太宰治との一日」豊島 与志雄

 

この作品の筆者である豊島与志雄は、
作家というよりも、翻訳家として知られた人物であり、
太宰治が死ぬ数年前から
仕事を通じて交流するようになったようです。
いわば、仕事で懇意になった知り合いというところでしょうか。

そのせいか、太宰の死に関する文章の内容も、
一般的な、通り一遍のもので、
坂口安吾のように心に食い込んでくるというような
内容のものは見受けられません。

ただ、一般的な知り合いが、
太宰をどう見ていたかということについて、
非常に参考になるところはあります。

「心にどんな悩みを持っていようと、人前では快活を装うのが彼の性分だ。」
「太宰はまた、がむしゃらな自由奔放な生き方をしているようでいて、
一面、ひどく極りわるがり恥しがるところがあった。
口を開けば妥協的な言葉は言えず、率直に心意を吐露することになるし、
それが反射的に気恥しくもなる。そして照れ隠しに酒を飲むのだ。」
 
坂口安吾に比べると、おしなべて表面的で、
太宰治の心奥までは見通していない印象がします。
まあ、それは付き合いの濃淡の差があるので、
仕方のないところかなとも思います。
しかし、正直、両者の人間洞察力の差ということもあるような気がします。

そして文章の最後に、
「死は、彼にとっては一種の旅立ちだったろう。
その旅立ちに、最後までさっちゃんが付き添っていてくれたことを、
私はむしろ嬉しく思う。」

と言っていますが、なんたる社交辞令的作文的文章の締め方(^_^;)

坂口安吾は、直接的には弔辞的な言葉を述べていませんが、
太宰治を亡くした悲しみというか、
彼の残した作品を大切に守ってゆかねばならない、
作品の中にこそ彼の魂があるんだという強い気持ちが伝わってきます。

それは、同じ作家仲間として、
文壇という戦場で戦う同志、戦友といったおもむきがあります。

一方、豊島与志雄にとって、太宰治の死は、
通り過ぎてゆくトピックスのひとつに過ぎないのかもしれません。
あー、そういえば、そんなことがあったなというように、
次第に記憶が薄くなり、忘却の彼方に消え去ってゆくといいますか。

二人の文章をみて、言葉というものは、かたちではなく、
やはり、その器に盛られる中身なんだなと、つくづく思います。


ところで今回は、太宰の心中相手となった山崎富栄さんについて、
少しだけ述べたいと思います。

彼女の書いたものなど拝見しますと、
彼女は本当に几帳面で真面目な人です。
いや、生真面目というべきでしょうか。
なんでも、三鷹の屋台でたまたま太宰と出逢ったということですが、
立派な作家の先生だけど、社会生活を上手く営めない、どこかダメな人。
私がそばにいて支えてあげなければ…
と、しっかり者で生真面目な山崎さんは
心にガシッと、はまってしまったものがあったのでしょう。

筆者は、作品中で山崎さんについて、次のように記しています。
「家庭外で仕事をする習慣のある太宰にとって、
さっちゃんは最も完全な侍女であり看護婦であった。」

社会生活を営む上で、常にぴたりと太宰に寄り添い、
過不足ないように面倒を見ていた様子がよく表れています。

更に、太宰と山崎さんの間柄については、このようにも言っています。
「そういう風で、太宰とさっちゃんとの間に、
愛欲的なものの影を吾々は少しも感じなかった。
二人の間になにか清潔なものさえ吾々は感じた。」

なお、同じことを坂口安吾は次のように表現します。
「太宰はスタコラサッちゃんに惚れているようには見えなかったし、
惚れているよりも、軽蔑しているようにすら、見えた。」

二人の文章を照らし合わせると、
太宰はかいがいしく自分の世話をしてくれる
山崎さんが居ないと不便を感じつつも、
二人の間には微妙な距離があったように感じます。
太宰の気分によっては、目の前を山崎さんが世話女房きどりでうろちょろすることで、
イラっと感じることもあったのかもしれません。

このように一生懸命、世話をすればするほど却って疎んじられる。
かといって自分から離れてしまえば、太宰は追ってくることはないだろう。
山崎さんはどこか八方塞がりで、行き詰まり感があったんだと思います。

そのうえ、もう1人の愛人太田静子の存在とその妊娠、
「グッド・バイ」で一番最初に別れる戦争未亡人の美容師の愛人が、
どうみても自分がモデルになっていること、
というような出来事が、いたずらに彼女の不安をかき立てたのではないかと想像できます。

いわゆる心中当日のやり取りについては、
もはや死んだ本人同士にしか、その詳細はわかりませんが、
だいたいのところは坂口安吾の推理が鋭く、それが当たっているように思います。

「太宰がメチャメチャに酔って、ふとその気(自殺する気)になって、
酔わない女が、それを決定的にしたものだろう。」

玉川上水に飛び込んで6日後、
発見された2人の遺体の様子は、
2人の生前の関係を如実に象徴しているもののように感じます。


「腰をヒモで結びあい、サッちゃんの手が太宰のクビに死後もかたく巻きついていた。」
「二人の死に顔は、女が、苦悶に満ちた恐ろしいまでの形相をしていたのに対し、
太宰のそれは眠るがごとく静かで、きれいなものであった。」


山崎さんは最後の最後まで、
必死に太宰に救いを求めて、すがろうとしましたが、
太宰は、最後の最後まで、すがってくる山崎さんの苦しみを、
一緒に分かち合うようなことはなかった。

よく太宰は弱い人間だと言われます。
故に自分が傷つくこともありますが、
弱さとは、時によっては、人を傷つけ、死にすら追いやってしまうものでもあるのです。


桜桃忌は、心中相手の山崎富栄さんの命日でもあります。
太宰治に隠れてどうしても影の薄い存在になりがちですので、
今回ちょっと彼女のことを書いてみました。