らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【クラシック音楽】ジャクリーヌ・デュプレ 後編

 

指先の感覚が鈍くなってきたことに気付いたデュプレは、
最初は過密なスケジュールによる
過労くらいに考えていたのかもしれません。

しかし、その症状は徐々に悪化してゆきました。
チェロの弦もしっかり押さえられなくなり、
2年後の1973年頃には、
ほとんど満足な演奏ができない状態になっていました。
中には、演奏中気付かぬうちに
失禁してしまうというアクシデントなどもあり、
(女性としてこれほど傷つくことはなかったかと思います)
体の変調は日を追うごとに増していきました。

同年秋、彼女にとって非常に残酷な、医師の診断が下されます。

多発性硬化症
この病は時間の経過とともに
体の自由がどんどん効かなくなってしまう、
治療がほぼ不可能な難病です。
人によっては、症状が弛緩したり進行したりの繰り返しを続ける症例もあるようですが、
デュプレの場合は症状が弛緩することなく、
どんどん進行してしまう症例のものでした。

次第に自分の体の自由が効かなくなる恐怖は、
いかばかりのものだったでしょう。
心中察して余りあるものがあります。

結局、この年をもって、
プロのチェリストとしてのキャリアを断念せざるを得ませんでした。

そして心の支えであったはずの夫バレンボイムも、
パリのオーケストラの指揮者の職を得たことを機に、
パリに出向くことが多くなり、
次第にデュプレの元から遠ざかるようになります。


あの人は私を愛していたのではなく、
私の音楽を愛していたのだろうか…


疑心暗鬼にかられたのでしょうか。
仕事の合間に見舞いに来るバレンボイムとも衝突するようになり、
バレンボイムの足は、デュプレの元からますます遠ざかるようになり、
パリで他の女性と暮らすようになります。

あんなに輝いていた望月のような人生の光が、
日に日に欠けていき、あっという間に闇に閉ざされてしまった。
彼女の、真っ暗闇の中で
彷徨(さまよ)う心細さ、独りぼっちの心を思うと、
胸が締めつけられるような思いになります。

デュプレは家族のもとで療養生活を行いますが、
肉体的にも精神的にも、かなりつらい闘病生活を送ったようです。
そして徐々に、ほとんどの体の自由を失い、
13年間の苦しい闘病生活ののち、息をひきとりました。
享年42歳。


神は彼女に全てを与え、一転して全てを奪い、
その命を天に召しました。
彼女の人生は、神の気まぐれによるものだったのだろうか…
思わずそんなことを感じてしまうような哀しい後半生の日々。

一節によるとデュプレは、肉体的精神的苦痛の余り
半ば錯乱状態になってしまったともいわれていますが、
いつか自分が見た映像では、
彼女は既に病状が進み、車椅子の生活でしたが、
後進のチェロの指導を穏やかな表情で行っていた記憶があります。

一体彼女の人生をどのように考えたらいいのでしょうか。


崖っぷちで
風に揺られながら
精一杯咲いているけなげな白い花
たとえ強い風に飛ばされ
次の日その姿が見えなくなってしまったとしても
その刹那、最高の輝きを発して咲いていたその花の姿は
人々の心の中で
いつまでも生き続ける


崖っぷちの白い花は自らを全うしたからこそ
その命は人々の心の中で生き続ける。
デュプレも同じではないかと感じます。


彼女は、この世の全てを終えて、今は静かに眠っています。



(画像はデュプレの眠る墓)

 
 

 
 
そういえば、最近、ブロ友さんの記事で、
バラの花の記事をよく見かけます。
そこで、自分も皆さんに或るバラを紹介したいと思います。



 
この白くてチャーミングなバラの花、
花の名は「ジャクリーヌ・デュプレ」。
そう、これは彼女にちなんで名づけられたものなんです。

少しクリーム色がかった白い色をした、
チャーミングで、かつ凛とした存在感のある花で、
彼女のイメージにぴったりに感じます。

ブログなど見ると「ジャクリーヌ・デュプレ」を育てている人は
日本でも結構いらっしゃるのですが、
意外と花の名前の由来を知らない人も多いようです。

最後に彼女の名前の花に乗せて
ハイドンのチェロ協奏曲第2番第1楽章より。
花の香りがしたたり落ちてくるような
甘美なチェロの音色です。
 
みなさんの心の中にジャクリーヌ・デュプレがいつまでも咲き続けることを願って …