らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2013】9 道行く行くも 青山を

 
 


 
 
物思はず
道行く行くも
青山を
振り放(さ)け見れば
つつじ花
にほえ娘子(をとめ)
桜花(さくらばな)
栄え娘子(をとめ)
汝(なれ)をそも
我(われ)に寄すといふ
我(われ)をそも
汝(なれ)に寄すといふ
荒山も
人(ひと)し寄すれば
寄そるとぞいふ
汝(な)が心ゆめ



詠み人知らず



何の物思いもしないで
道を進んで行くのだが
青山をふり仰いで見ると
つつじの花が美しい
そのように美しいおとめよ
桜の花が今を盛りと咲いている
そのように溌剌(はつらつ)としたおとめよ
お前を、私に心を寄せていると噂しているそうだ
私を、お前に心を寄せていると噂しているそうだ
荒山でさえ
人が寄せると
寄せられるという
お前は心に油断があってはいけないよ、いいね



恋というものは、何かに相手に吸い寄せられてゆく
魔力みたいなものがあります。
この歌を詠んだ男性は、或る若き乙女に恋をして
心がすっかり彼女に引き寄せられてしまったのでしょうか。
春から夏に季節が移ろうとする野山で、
美しいつつじの花を見ても、彼女のことを思い出し、
盛りの桜の花を見ても、はつらつとした若々しい彼女のことを思い出す。

恋って本当にすごいエネルギーを持っているものだなと思います。
だって、ずっとそのことを考えていても、尽きることがないんですから。

それだけ思いが深いということなんでしょうが、一点に深ければ、当然狭いわけで、
そういう意味でも、恋の深みにはまるという言葉は言い得て妙だなと感じます。

どうも歌からすると、この二人は互いに好意を寄せ合っていることが、
半ば公然の間柄のようです。
にもかかわらず男性は彼女を他人に取られはしまいかと心配で仕方ない。
いや、手に入れているからこそ、心配で仕方ないというべきでしょうか。

荒山のような殺風景な美しくないものですら、
それに近づくと、人は心が引き寄せられてしまうことがあるという。
だとしたら、まして美しく若いお前など…

だから油断して微笑みかけたり、
誤解されるような態度を取ってはいけないよ。
と諭すように念押しして歌は終わります。

この2人は、比較的、年の離れたカップルなんでしょうか。
なんとなくそんな感じもします。
一見静かな淡々とした口調で語りかけていますが、
なにか彼女への募る思いと、彼女を取られたくないという悶々とした心が垣間見えて、
なにか息苦しいような、切ない気持ちにもなります。

ちょっと前の記事で、熱烈な恋もひとつ間違えると、
嫉妬や束縛というものに変わってしまい、
大事にしたいとい思っていたはずの相手を、
却って、苦しめたりしてしまう。


恋は募れば募るほど深い。
深いゆえに狭く、周りが見えなくなってしまう。
それは場合によっては相手の気持ちすらも。

歌を詠んだ男性は、そこまでも至らないにしても、
そうなってしまう危うさのようなものを感じる瞬間があります。
が、しかし、逆にやや余裕の眼差しで彼女を見ているように感じる瞬間もあります。
それだけ彼の心が上下に大きく
揺れ動いている証拠なのかもしれません。

千年前のつつじが咲き乱れる今のこの季節に、
恋する彼女を想って歌を詠んだ、名もなき男性。
彼女に「寄せる」想いを、果たしてうまく収めて、
恋を成就することができたのか。
個人的には、少々気にかかるところではあります。