らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

100分de名著「老子」 第1回 「道」に従って生きよ

 
今日朝5時半に起きて、再放送の第1回を視聴しました(^^;)

見た感想をヒマな時に、ゆるゆる書こうと思ったのですが、
内容をみて、ちょっと驚きました。
あまりにも内容に問題ありです。
老子とは銘打ってはいますが、いわば似て非なるもの。
牛の肉を売ると称して、あたかも他の獣の肉を売っているようなものです。

これは皆さんに視聴を推薦した手前、マズいと思い、
本当は会社を休んで記事を書きたかったんですが(^_^;)冗談です。
さすがにそうはいかず、今の時間の投稿になってしまいました。

番組に言いたいことは、いろいろあるのですが、
最も重要なことをひとつだけ述べます。

番組中、
混沌とした春秋戦国の孔子儒教全盛の時代に、
アンチテーゼとして老子が唱えられた…的な解説がありましたが、
春秋戦国時代儒教が全盛だったことも支配的だったことも一度もありません。
儒教が全盛かつ支配的となったのは、
戦国時代が始皇帝の秦により統一され、その後、劉邦により漢が建国され、
時代が安定して数十年後、武帝により、その体制を永続的にするために、
秩序維持の思想ベースとして国家的に公認された時以降です。

春秋戦国時代には儒家はあくまで諸子百家のひとつに過ぎず、
その求める儀礼などが、形式主義で実践的でないと
すでにその当時から批判され、
他の墨家、法家などからは馬鹿にすらされ、
笑い話のネタにされていたほどであったのです。

そのような儒教全盛のアンチテーゼで老子が唱えられたという、
誤った事実を前提に話が進んでいるので、
それを基にした話は全部間違った話になってしまっています。

例えば老子が役人をドロップアウトした話も、
あのニュアンスだと、エリートから落ちこぼれて役人を辞め、
老子の思想を生み出した…的な話になっていますし、
サラリーマンの悩み相談的な小劇の「無為自然」の説明も、
会社や社会の規律などにあくせくしないで
あるがままに気楽にやればよい的な話になってしまっています。

また小劇の老子役のきたろうさんは
おもしろい人ではありますが、
老子とは対極のキャラと言わざるを得ない。
老子の「無為自然」は、投げやり、自堕落という
きたろうさんのイメージとは意味が違いますし(^^;)


この番組を制作した人は、
現代の秩序だった規律主義、形式主義(マニュアル主義)の社会に
反抗する生き方(=老子)という構図で
どうしても番組のストーリーを作りたいようです。
が、まさにその勝手なストーリーを作って、
無理やり、その枠にはめ込もうとする態度自体が
悪しき形式主義そのものであり、反老子的ですらあります。

老子でないものを老子として説明する。
それはまさに丸い器に四角のものを無理やりはめ込もうとするもので、
必ず齟齬が生じ、無理が顕れることになります。

この番組の「老子」の解説者は、
長年ずっと老子を研究されてきた学者の方ですが、
この番組の構成に何も言わなかったのかなと
極めて不思議に感じます。
却ってむしろ番組の構成に加勢するような風ですらあります。

これは自分の大学時代の話ですが、
自分はドイツ語の辞典なども製作しているような
ドイツ語の大家と社会一般で言われている老教授に、
大学時代、ドイツ語を教わっていました。

で、ドイツ語の作文がどうしてもわからず、
母親がドイツ人で、生まれてから十代半ばまでドイツで暮らしていたハーフの友人に、
こっそり答えを教えてもらったんです。
ドイツ語ナチュラルから教えてもらったのですから、
当然正解と思っていたのですが、
教授は黒板に記した自分の作文のかなりの部分に修正を加えました。
驚いた自分は授業後、彼にその添削結果を見せると、
彼曰わく、
「う~ん、この用法は古い昔の表現で、
今のドイツで使っている人は誰もいないよ。
表現が固すぎて古すぎるんだよね。」

その教授は自分が習った数十年前のドイツ語を金科玉条として、
頑(かたく)なに守ってきて、
他の新しく生み出された表現などスルーしてきてしまったのかもしれません。
これは日本の大学教授、特に文系では、よくあることなんです(^_^;)
今はどうだかわかりませんが。

この番組を見た時、その話がふと蘇りました。
解説者がテキストや番組で話していることは
数十年前の学説をベースとした老子の干物みたいなもので、
生きた、活きたというべきでしょうか、老子観というものが全く飛び出して来ないんです。
従来の学説などの間接的知識が邪魔をして、
老子の文言が、ダイレクトに自然に読み取れていないようにも感じます。

そんな、その人は老子を何十年も研究してきた学者の先生で、
お前は学者でも何でもないただの勤め人じゃないか
とおっしゃるかもしれません。

それはおっしゃる通りです(^^;)


しかし、老子の極意は「とらわれない」ということだと
自分は思っています。
ですから、皆さんには、そういうものにとらわれないで、
一度御自身のまっさらな気持ちで
老子の言葉に接してみていただきたく思います。

老子は、決して孔子のアンチテーゼなどではありませんし、
隠世の人間の世迷言でもありません。
 
もっと野太くて本質的で、力みなぎる堂々とした生き方を模索する思想です。

そのうえでやっぱり自分は学者の先生が正しいと感じるのであれば、
それは仕方のないことです。
自分の力不足、表現不足の為せる結果です。

どうか老子が世に投げかけた言葉をじっと見詰めて、
その中から皆さんの参考になるものを是非とも掴んでください。

なにか「こころ」の先生が言ったような言葉ですけれども。