らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

100分de名著「こころ」夏目漱石 第2回 先生という生 き方

 
前に、自分が高校生の時分に「こころ」を読んだ時、
作中の「私」と同じように先生に惹かれるものがあったという話を書きました。

なぜ自分は先生に惹かれたのか。
そのような先生とはどんな生き方をした人であったのか。
これが今回の放送のテーマになります。

作品を読んでいくと、
先生は非常に、もの静かな人です。
自宅に押しかける学生である私にも慇懃に向かい合い、
上からものを押し付けるでもなく、
優しく丁寧に私に接してくれます。

江戸時代の長幼の序というような
倫理観が国家規範として存在していたなら、
このような先生と私の関係というのは、
成り立ちにくいものだったのかもしれません。

ある意味、先生と私は、対等に、個と個で向かい合った関係。
先生に対する私の敬慕というものも、
特定の社会倫理に押し付けられたものでなく、
先生の言動により
私の心の中から自然に溢れ出た感情。
まさにそれは近代化による
個を重視する社会の、理想的な人間関係といえるのかもしれません。


ところで皆さんは、先生の年齢をいくつだと想像されるでしょうか。

自分のイメージだと40代くらいの感じだったのですが、
私と出会ってから、遺書を書くまで、
33~37歳くらいであろうとのことなんです。
なんと自分と全くの同世代(^_^;)

20代前半の私にとって、先生は師というよりも
年の離れた尊敬できる兄貴分のような
感覚であったのかもしれません。

しかし、自分と同世代という目で見ると、
正直、先生は非常に、か細く、ひ弱にみえてしまう一面があります。

ただ、作中にもありますが、
世間に出て、その垢にまみれて生きるというのが
必ずしもいいというわけではありません。
毎日の仕事に追われ、時間に追われ、
ただ人生を消耗してしまう例だっていくらでもあります。

要は人生の中で何を得たかにあるわけですし。

ただ、ここで、先生の人生って、何か人に譲り伝えるような
悟りみたいなものを得たといえるの?
とおっしゃられる向きもあるかもしれません。

それに対し自分は悟りというような大きな心持ちみたいなものを
得たというわけではないとは感じます。
むしろ遺書の中で綴られた内容ですら、
肯定的に理解できない??のようなものすらあります。

先生の遺書の中には、きらきらとした美しく優しい断片のような思いもあれば、
当時先生が犯してしまったどす黒い塊のようなものも混在している。
しかもその塊のようなものを、先生自身、心の底まで落とし切れていないのではないか、
と思われるようなものもあります。

つまりは、先生が自ら生きたまま、そのままの「こころ」が
遺書に綴られていると言ってよいでしょう。

先生が、美しく感じたこと、楽しく感じたこと、
悲しく感じたこと、苦しく感じたことなど、
自分の感じた全ての「こころ」を包み隠さず、
有りのまま、そのままに真面目に綴られているもの。
それが先生の遺書なのではないか。

「私は今自分で自分の心臓を破って
その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。」

「私は冷ややかな頭で新しい事を口にするよりも
熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。」

と先生に語らせているのは
そういう意味ではないかと感じます。

その断片的な「こころ」の束ねられたものは、
平凡なありきたりの思いの束に過ぎないのかもしれませんが、
それをひとつひとつ解きほどいてゆくと、
それは悟りにも似た、触れた者に深く考えさせるものとなる、
という感覚は、ある意味、不思議なものではあります。


冒頭に、なぜ自分は先生に惹かれたのか。
先生とはどのような生き方をした人であったのか。
ということが今回のテーマだと言いました。

それに簡潔に答えるならば、
先生とは、いわゆる世にいう人格者、何か物事を達観した人ではないのかもしれない。
しかし自分の為してきたことに
真面目に考え、省(かえり)みてきた人であり、
その真面目に考えてきたことが
必ずしも正解に到達したとはいえないのかもしれない。
しかし私は、先生の物事に向き合う、
その態度に惹かれたのであり、
普段の言動の端々にそれが表れており、
それを感じ取っていたのではないか。

そして、その必ずしも正解に達したとはいえないかもしれない
真面目に考えられたことは、
真面目に人生を生きようとしている私に受け継がれることにより、
先生の肉体と共に無くなってしまうことなく、
新しい命を得ることができた。


先生は言います。
「私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。」

この「真面目」というのは、
第4回のテーマでもあることから、
また別に述べることがあると思います。


なお、第2回の放送を見逃した方、
明日水曜に再放送がありますので、
よろしかったらご覧になってみてください。
詳しくは番組ホームページにて。