らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【中国詩】詩経「桃夭(とうよう)」

 

 
 
いつぞやの万葉集の記事で、春の代表的な花としては、
まず以て、桃、梅、桜が挙げられるだろうという話をしました。

このうち梅と桜は、我が国の万葉集及びその後の古今和歌集以降の歌集でも
数多くの歌が詠まれていますが、
桃については、それほどでもないような気がします。

どうも桃は日本よりお隣の中国で、
春の花としての認知度が高いようです。
三国志演義で桃園の誓いというのもありますしね。


 
 

というわけで今日は、万葉集番外編として、
その昔、古代中国で歌われた桃の詩の紹介をしたいと思います。

万葉集は約千年前に詠まれた歌の数々ですが、
この詩はそれより遥かに古い
二千五百年以上前に作られたものです。



「桃夭(とうよう)」


桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宜其室家

桃之夭夭
有賁其実
之子于帰
宜其家室

桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于帰
宜其家人


桃の夭夭(ようよう)たる
灼灼(しゃくしゃく)たり其の華
之(こ)の子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ
其の室家(しっか)に宜(よろ)しからん

桃の夭夭(ようよう)たる
賁(ふん)たる有り其の実
之(こ)の子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ
其の家室(かしつ)に宜(よろ)しからん

桃の夭夭たる
其の葉蓁蓁(しんしん)たり
之(こ)の子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ
其の家人に宜(よろ)しからん


桃は若々として
その花はまるで燃え立つよう
桃のようなこの娘がお嫁に行ったら
きっと入った先にふさわしいお嫁さんになるだろう

桃は若々として
その実はふっくらと豊かでみずみずしい
桃のようなこの娘がお嫁に行ったら
きっとその入った先で立派な奥さんになるだろう

桃は若々として
その葉はふさふさと豊かに茂っている
桃のようなこの娘がお嫁に行ったら
きっとその入った先のみんなに喜ばれるだろう




二千五百年前の桃の詩、いかがだったでしょうか。
花嫁賛歌ともいうべき、この歌、
若い花嫁を祝福する思いにあふれているように思います。

歌風としては、素朴でおおらかで、
素直に花嫁を愛しみ讃える心に満ちあふれ、
どこか万葉集と相通ずるようなものも感じます。

なんでも古代中国では、
婚姻を、男は20歳から30歳まで、女は15歳から20歳までとしており、
旧暦2月の仲春の節に婚礼を行うものとされていたとのことです。
 
その季節はちょうど桃の花の咲く時節でもあり、
桃のもつ瑞々しいイメージから、
お嫁に行く若い女性の姿と重ね合わせ、
また、これから新しい生命(いのち)が産まれいずることを
期待しつつ歌われたのでしょう。
なお、古来より、桃には邪気を払う力があるとされていたため、
桃の詩を送ることにより、
花嫁の門出に、邪気を払ってやろうという
心遣いがあったのかもしれません。

ところで、冒頭の和訳は、
自分が教科書的な模範的訳を少々アレンジしたものですが、
元々シンプルな詩だけに、
色々な訳が試みられています。
中にはこのようなものもあります。


桃の木ピチピチ
その花キラキラ
この子は嫁ぎ
その家ニコヤカ

桃の木ピチピチ
その実はフックラ
この子は嫁ぎ
その家ホガラカ

桃の木ピチピチ
その葉はフサフサ
この子は嫁ぎ
家族はニギヤカ


なんじゃ、この訳は?と思われたかもしれません(^_^;)
しかし、自分的には意外に?この訳は原文のニュアンスを
上手く伝えているかもしれないと思ったりします。

といいますのは、古来より、中国の詩では韻を踏むという技法が用いられます。
学校の勉強的な解説は、ここでは致しませんが、
韻とは簡単にいえば、アクセント、リズムのようなものです。
そうしますと、シンプルな言葉で書かれ、しかもリズミカルなイメージな歌としますと、
桃はピチピチの訳は、なかなかいい線いっているのではないかと思うんですよね(^_^;)
 
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