らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2013】4 冬ごもり 春さり来れば

 
 

 
 

天皇内大臣藤原朝臣に詔して、
春山万花の艶(うるわし)きと秋山千葉(せんよう)の彩れるとを競い
憐ましめたまひし時に、額田王の歌を以てこれを定めし歌


冬ごもり 春さり来れば
鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど
山をしみ 入りても取らず
草深み 取りても見ず

秋山の 木の葉を見ては
黄葉(もみち)をば 取りてそしのふ
青きをば 置きてそ嘆く
そこし恨めし
秋山そ 我(あれ)は



額田王(ぬかたのおおきみ)



冬ごもり春がやってくると
鳴かなかった鳥も来て鳴く
咲かなかった花も咲くけれど
山が茂っているので入って取りもしない
草が深いので取ってみることもしない

秋山の木の葉を見るときは
色づいた葉を折り取って愛で
まだ青い葉はそのまま置いて溜め息をつく
そこだけが残念で恨めしい
秋山に惹かれる、私は



最近春めいた陽気を感じる日も出てきましたので、
今回は春にまつわる記事を、と思いました。

日本史上において、その名を広く知られながら、
その実態が今ひとつ謎につつまれている女性というと、
自分は、古代では卑弥呼額田王が真っ先に思い浮かびます。

しかしながら額田王は、万葉集などにその歌をいくつか残しているので、
歌を通して、彼女の心の中や人となりというようなものを見て取ることができます。

今回の歌は時の天智天皇から、
春の山と秋の山、いずれが素晴らしいかを問われ、
額田王が、公の場でその美的審判を下し、歌として詠んだものです。


なにかとても静かな語り口の歌です。
静かに淡々と、そして客観的に確信をもって、
春山と秋山の魅力及びそれについて自分がどう感じているかを詠んでいます。

自分の心の中にある春山と秋山のイメージを丹念に顧みて、それを表現しており、
思慮深く、内省的で非常に知的な印象がします。

兄弟でもある天智、天武両天皇から愛され、
彼女をめぐり、二人の間で諍(いさか)いが起きた…
などという、まるでドラマ仕立ての主人公のようなイメージからすれば、
もっと奔放で情熱的な女性の印象があったのですが、
それとは全く違う一面を見た思いでした。

最終的に、額田王は、千葉(せんよう)の彩りを、
実際に手に取って実感できる秋の山に軍配をあげています。

自分などは、一斉に命が萌え出ずるイメージの春の山に一票と言いたいのですが、
色づいた葉を実際に手に取って、季節を実感できることに重きをおくというのは、
ある意味、地に足がついているというか、老成しているというか、
渋さのようなものを感じる部分があります。


ところで、皆さんは額田王がこの歌を
どのくらいの年齢の時に詠んだとお感じになるでしょうか。

額田王は生没年不詳ですので、だいたいの年齢しかわかりませんが、
実は、おそらく20代半ばから後半くらいで詠んだと考えられています。
額田王は長生きをして、70もしくは80代まで生きましたので、
感じとしては、50もしくは60代くらいの頃に詠んだイメージだったので、
思いの外、若い印象を受けました。

額田王の他の有名な歌といいますと

あかねさす
紫野行き標野行き
野守は見ずや
君が袖振る

という少女漫画のシーンにも出てきそうな、
女性の初々しい胸のときめきのようなものを詠んだ歌がありますが、
実はこちらの歌の方が、冒頭で紹介した歌より少し後に詠まれているらしいのです。

ですから額田王という女性は、知的で思慮深く老成した面と
情熱的で瑞々しい心の面とを併せ持った、
多角的な魅力をもった人だといえるのではないかと
この歌を知って、感じました。