らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2013】2 巨勢山のつらつら椿

 


 
今回紹介する万葉集の歌は



巨勢山(こせやま)の
つらつら椿
つらつらに
見つつ偲(しの)はな
巨勢の春野を



坂門人足(さかとのひとたり)



巨勢山の
つらつら連なる椿の木
つらつら
見ながら偲ぼうではありませんか
椿の花咲く巨勢の春野を




和歌というものは、その文字に記された内容だけでなく、
歌を声に出した時の、音の抑揚やリズムというものも含めて、
歌を創作していると思われます。

とすれば和歌を味わう醍醐味としては、
内容を読んで、頭で内容を理解するというのは、
まだその魅力の半分に過ぎず、
歌を声に出して味わうことで、
本当のその歌の素晴らしさを知ることができる。
そんなところがあるような気がします。

今回の歌を何度となく声にしてみると、
まだ花をつけていない巨勢山の
連なる椿の木をいとおしく眺めながら、
いずれ来たる、椿の咲く季節に思いを馳せ、
穏やかに、しかし確信をもって、
花の咲く様を心に浮かべながら待ちわびている。
自分は、そのようなものを感じました。

詠み人は、
椿よ、早く咲いてくれ、と急かすようでもなく、
また、今現在、花が咲いてないことを嘆くわけでもない。
時が来れば、咲くべき時に見事に咲く。
そんなようなことを確信しながら、
まだ花をつけぬ椿の木に目をやっている、
涼やかで、清々しい落ち着きのようなものを、
この歌から感じます。

なんでも、この歌は、女性である持統上皇紀伊行幸した際、
奈良の巨勢山にて詠まれた歌で、
その長寿や健康を祈念して詠んだ歌だそうです。

当時、上皇は50代半ばで、
体調のすぐれぬことも多かったようです。
詠み人は、女性である持統上皇を、
いずれ必ず華やかに花を咲かせる
巨勢山の椿の花に例えて、
自分の気持ちを詠んだのかもしれません。

歌舞伎役者の中村扇雀さんは、
この歌の、語尾で息が抜けるとか、きちっと止まるとか、
聞いていて心地よい音の聞こえ方、
「間(ま)」の素晴らしさのようなものを
強く感じるといいます。

歌舞伎では「間」は「魔」に通じると言われてるほど
難しく、かつ大切なものだそうです。
「間」によって、芸が生きもすれば、死にもする。
そんなところでしょうか。

歌舞伎に限らず、
文学でも詩の朗読でも漫才のようなお笑いでも、
音楽でも落語でもなんでもそうでしょうね。

今回紹介した歌も、このような「間」、
簡単にいえば、リズムといってもよいかもしれませんが、
そういったものが、歌に、涼やかな落ち着いた雰囲気を
醸し出しているように感じます。

前回の自作の和歌も、今回紹介した和歌で学び感じたことを、
作品に表現しようとしたのですが、
言うは易し行うは難し
なかなか思うようにはいかないものです。
懲りずにこれからも詠み続けますよ(^_^;)