らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「鹿踊りのはじまり」宮澤賢治

 


 
 
そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあひだから、
夕陽は赤くななめに苔の野原に注ぎ、
すすきはみんな白い火のやうにゆれて光りました。



晩秋の、非常に色彩豊かな、絵画的ともいえる
美しい描写で始まるこの作品。

苔の野原の夕陽の中で、
すきとほつた秋の風から賢治が聞いたというお話。

これはストーリーのある物語というよりも、
晩秋の北上の自然に対する、
宮澤賢治自然賛歌ともいうべき作品に感じます。

自分的には小説というよりは詩に近い感覚。
ざあざあと吹く風の音や、
それになびいてざわざわとざわめく木々の音、
息をひそめるようにひっそりと咲く白い小さな花、
集まってきた鹿達の生き生きと躍動する様子など、
それらを見た賢治の生の思いが、
直に自分の心の中にしみ入ってゆきます。

それぞれに鳴り響いているはずの
自然に生きるものの諸々の息吹きが、
ひとつのハーモニーを奏でる音楽のように聴こえる瞬間。
のみならず、そこにふりそそぐ光や輝きも
すべてが溶け合って輝いて調和している世界。



北から冷たい風が来て、ひゆうと鳴り、
はんの木はほんたうに砕けた鉄の鏡のやうにかがやき、
かちんかちんと葉と葉がすれあつて音をたてたやうにさへおもはれ、
すすきの穂までが鹿にまぢつて
一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうに見えました。



鹿達の話す言葉が北上訛りであるのも、
訛りとは、人間が自然と共に生きてゆくうちに育まれていったもの。
賢治の耳にはその響きが、
北上の自然と混じり合って心地よく聴こえたのでしょう。


ここでふと思い出したのが、
国木田独歩の「武蔵野」という作品。
あれも武蔵野の自然を愛した彼の思いがあふれた
武蔵野の自然賛歌ともいうべきものでした。

しかし「武蔵野」が自然と人間が共に生活を営む
穏やかな里山のようなものを賛美していたのに対し、
宮澤賢治の「鹿踊りのはじまり」は、
もっと本来のあるがままの自然を賛美し、
その調和した自然の中の小さなひとつの存在として人間を捉え、
その中で生きることを最上の喜びとするもの。

ざあざあと吹く風の音が教えてくれた
鹿踊りの、本当の精神とは、
そういうものではなかったのかなと思います。
 
 

 
はんのきの並木
 
 

 
 うめばちそうの白い花