らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「小説家たらんとする青年に与う」菊池寛

 
 

 

現在、純文学最高峰の賞といわれる芥川賞を創設し、
「文藝春秋」の創設者でもある菊池寛が書いたエッセイ。

菊池寛といえば、作家としての力量は、
夏目漱石芥川龍之介らの一流の面々と並べられると
そこそこ程度に甘んじてしまいますが、
プロデューサー、つまり、どういう作品が世に求められているかを察知し、
そのような作家を見いだす能力については、
一流と認めざるを得ません。
名監督必ずしも名選手ならず。とでもいいますか、
名作プロデュース能力というのは、
名作を書き上げる能力とは、また別のところにあるようです。

そのような能力に長けた菊池寛が、
小説家になりたいと思っている若い人へ。
と題する文章を書いているわけですから、
それを志す人々は、ちょっと読んでみたくなるはずです。

現代でいえば、
芸人になりたい人に、吉本興業の社長が、
歌手になりたい人に、エイベックスの社長が、
なるためにはどうしたらよいかというメッセージを送るようなもの、
もしくはそれ以上のものかもしれません。


菊池寛は、まず冒頭で、
「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則をこしらえたい。
と、一瞬、えっ、というようなことを提言しています。

この言葉の真意は、
小説を書くのに一番大切なのことは生活を知ることであり、
ある程度、人生に対する考え、いわゆる人生観というべきものを持つことが必要である。
ということにあるようです。

それがわかってくるのが、最低でも二十五歳くらいということなのでしょう。

菊池寛は、
小説を書くということは、
決して紙に向って筆を動かすことではない。
日常生活の中に、自分を見ることだ。
と繰り返し同趣旨のことを述べ、

人生に対する独自の哲学を持たない小説は、ただの遊戯にすぎない。
と斬って捨てます。

しかしながら、ただ生活さえしていればよいというわけではない。
と注意も喚起します。
即ち、生活しながら、色々な作家が、
どういう風に、人生を見たかを知ることが大切であり、
それを参考としながら、
どんなに小さくとも、どんなに曲っていても、
自分の考えで、新しく人生を見ることが重要であると言います。

最後に、
そのような人生観が、世の中の事に触れ、
折に触れて、表われ出たものが小説なのである。
と結論付けます。


菊池寛の時代から長い月日が流れ、
小説というものも、その可能性を広げ、
若い感性みたいなものを書き記した作品も数多くこの世に出ており、
現在では、菊池寛のいうことは必ずしも当てはまらないようにも思われそうです。

が、一見、菊池寛の趣意から外れているように見える若い作家の作品でも、
よくよく読んでみると、
日常生活の中に、自分を見い出し、自分の考えで、新しく人生を見ており、
それが作品の端々に感じられるものも決して少なくありません。

また、菊池寛の、この考えは、小説を書こうとする者のみならず、
これを読もうとする者にも、大いに役立ちます。

例えば「死」とは?
というようなことについて、
人それぞれ色々な考えがあると思うのですが、
この作家の作品は、それについて、どのような考えで、
その考えに至ったものは何か
ということをしっかり確かめながら読む。

それが作品の端々に、明確に表れているのが、優れた作品であり、
曖昧であったり、全く描かれていなかったり、他人の受け売りというようなものは、
遊戯に過ぎない。

ということに、菊池寛言うところとしては、なるのでしょう。

そのような視点で作品を読み解くことは、
作品を、より深く理解する契機にもなるのではないかと思います。