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はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「美術上の婦人」岸田劉生

 
 



 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いわゆる「麗子像」で有名な画家岸田劉生(前掲自画像)は、
美術にとつて人物を描くという事は、面白いと同時に、難しい事で、
古来から美術作品中、その美的内容の最も深いところのものは、人物画に尽きると言います。

すなわち、それは、人の顔が実に複雑で、
深い多くの画因(モチーフ)を秘めているからだということですが、
確かに人の顔というのは、水や空の色同様、もしくはそれ以上に様々な表情を見せ、
ひとつとして同じものはありません。

そして人物画にはただ眼に見える形の美以外に、「生けるもの」としての感じがある。
もっと言うと、「生ける人」としての感じがある。
つまり「人」を描くということは「心」を描くという事である。と述べます。

というわけだから、人物画は、描く人にとつても、またその画を観る人にとつても、
ともに最も深い芸術的感興の対象であり得るのだと言います。

岸田劉生の、人物画がいかに絵画において優れた対象であるかという熱弁は、
それが正しいかどうかはともかく、
彼の意志、信念のようなものが伝わってきて、思わず圧倒されるものがあります。

更に岸田劉生はこのように主張します。

人物画の中でも、女性は男性より「美」に近い存在だけに、
優れているといえる対象は女性である。
それに対し男性美というものは、どうも少し粗野で簡単で、概念的になりやすい。
と、以下、この文章の半分近くを割いて、
美の対象として、女性が男性よりなぜ優れているかという理由を滔々と述べています。

この部分、岸田劉生節全開という感じで、
客観的に考えると、果たして、そうなのかなと思いつつも、
岸田劉生の主張は非常にこだわりがあって、真摯で、
ちょっと変な言い方ですが、真剣に述べるあまり、微笑ましく感じてしまう部分もあります。

そのような彼の趣向からすると、ミケランジェロなどはあまりお気に召さぬようなのですが、
逆に最も絶賛しているのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」です。

 

曰わく、
恐らくこの画位、全き完成の感じを与える画は世界にそう沢山はあるまい。

ここで岸田劉生は、モナリザの不思議な笑みについて、非常に面白いことを述べています。

曰わく、
レオナルドの唇には、モナリザの唇を描く時に、
同じ微妙なそして同じ幽玄極まりない微笑を浮かべていた事であろう。
実際、画をかく時、笑い顔を描く時は、
画家は思わず知らず一緒に微笑むものであり、
逆に泣いた顔を描く時は、しかめつらをしなくては描けない。と。

つまり絵の中の人物の表情は、描く画家の表情そのものだと言います。

自分は人物画というものをほとんど描くことはないのですが、
家でひとりぼっちの、いわゆる鍵っ子の子供が描く家族の絵には、
表情がないと評されることがあります。
それは、岸田劉生の主張を裏付けるものなのかもしれません。

さらに「モナリザ」で、もう一つ驚嘆する事は、そのふくよかな手であると言います。

すなわち、手を美くしく描き得る画家があれば、
必ず偉れた美を知つている画家であるという事ができる。
なぜなら、手は人間の肢体の中でも、最も線の交響の微妙な部分であり、
そこには無数の美くしい線が秘められている。
立派な芸術に描かれた手は、必ず皆不思議に生きて不思議に美しい。
と述べます。

素人の自分などは、人物画というと顔ばかりに目がいってしまいますが、
実は、手に、人物画を見る極意があったとは。
まさに目からウロコで、今まで気がつきませんでした。
これからは手に注意して、いろんな人物画を見てみようかなと思います。

最後に、
モナリザ」はまさに芸術の何であるかという事を語るもので、
其処には、荘重、肉感、幽玄、神秘、そしてそれ等が不思議な完成を示している。
と最高の賛辞を以て締めくくっています。

このような、画家による名画の解説というのは、意外に貴重で、
解説されている名画について、面白い考察が聞けることもさることながら、
それを通して、その画家自身の絵画に対する姿勢、こだわりみたいなものを汲み取ることができ、
読んでいて、なかなか面白いものです。


さて、それでは今回の文章をもとに、岸田劉生の代表作「麗子微笑」を、見てみますと、
 

 

この絵の中の麗子の微笑は、父であり、描き手である岸田劉生の微笑そのものだったんですね。
その静かで落ち着いた微笑みは、愛娘を描く劉生の表情が目に浮かぶようです。

あとやはり麗子のしなやかな手。
まるで血がかよっているような、小さな柔らかい手です。

この文章を読んでから「麗子微笑」を鑑賞すると、
これは、岸田劉生の画家としての総決算のような作品だったのかもしれないと感じます。

この作品は東京国立博物館にあるそうです。
若沖の記事でも述べましたが、
機会あれば一度実物を見てみないといけませんね。

蛇足ですが、最後に、これが実物の麗子さんです。
絵の麗子像は5歳の時のもので、写真も同年齢の頃のものです。
ちなみに絵のようなおかっぱは、当時最新のヘアスタイルだったそうです。
 
 
 

 
 
 
 「美術上の婦人」岸田劉生