らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「三つの願い(愚かな願い)」シャルル・ペロー

 
今日、仕事で、出先からファックスする用事がありまして、コンビニに行きましたら、
フランカーの中のソーセージが、それはそれは美味しそうな匂いをさせておりました。
ちょうどお昼時でしたけれども、
諸々の事情でそれを買うことができませんでした(-.-;)

「ソーセージが食べたい」

ひとつだけ「願いごと」が、かなうとしたら?
の願い事というわけではありませんが(^_^;)、
その時、ちょっと思い出したのが、「3つの願い」というお話。
ご存知の方も多いと思います。

もともとはシャルル・ペローの「愚かな願い(Les Souhaits ridicules)」という作品のようです。

話の内容には、いくつかのバリエーションがあるようですが、
原文に最も近いあらすじを紹介しますと、
次のようなものになります。



昔、貧しいきこりの夫婦がいました。
きこりは、つらい生活に疲れきって、
早く死者の国に行って、休息をとりたいものだというのが口癖でした。

また、きこりは、嘆きながら、
「わたしがこの世に生まれて以来、
天は、一度だって、わたしの願いを一つもかなえてくれたためしがない。」
と、繰り返しておりました。

ある日、森に木を切りに行くと、神様が現れました。
哀れなきこりの願いを聞き届け、
3つの願いを何でもかなえてやろうと言います。

きこりは家に帰って、おかみさんと、どんな願いをかなえてもらおうか、
いろいろと考えましたが、
願い事がたくさんありすぎて、すっかり迷ってしまいました。

その時、お腹の空いていたきこりが、暖炉の火にあたりながら思わずつぶやきました。

「この火でソーセージを焼いたら、おいしいだろうね。
こんなときに大きなソーセージでもあればいいのに。」

すると即座に願いが聞き届けられ、
大きなソーセージが落ちてきました。

おかみさんはとっさに金切り声をあげました。
そして、この出来事の原因は、そそっかしい夫が底ぬけの愚かしさから、
願いごとをしてしまったせいだと思うと、
夫に向かって、あらん限りの罵りや怒りの言葉を投げつけました。

きこりは、怒りにかられ、思わず願いました。

「神さま、このガミガミ言う女の鼻に、ソーセージをぶらさげてやって下さいまし!」

この願いは、即座に天に聞きとどけられました。
次の瞬間、おかみさんの鼻にソーセージがくっついてしまったのです。

きこりは慌ててソーセージを引っ張りますが、
ソーセージはおかみさんの鼻にくっついたまま離れません。

きこりは、しばらく考えていましたが、結局、

「鼻からソーセージをはがしてくださいまし。」
と神様に最後のお願いをしました。

するとソーセージは鼻から落ちて、床に転がりました。

これで三つの願いは全部おしまいになってしまいました。



ある意味、ツッコミどころ満載のお話ではあります。

ソーセージくらい、金貨を山のように出してから、
山のように買えばよかったのに。とか

おかみさんの鼻にソーセージがくっついてしまった後、
最後の願いで金貨を出して、
高名な医者に手術してもらえばよかったのに。とか

ソーセージなど悪性の出来物じゃないんだから、そのままでもよかったのに。とか

しかし、物語に出てくるソーセージは1オーヌ(約1.2メートル)といいますから、
そのままにしておくのは、かなり大変ですね(^_^;)

自分も子供の頃、どうしておかみさんの鼻にくっついたソーセージを、
先っぽから食べていかなかったのか。
と思ったりしました。

でもソーセージ食べたいがために、願いのひとつを使ってしまった
夫に対するおかみさんの怒りは非常に、わかります(^_^;)


それでは、このきこりの夫婦は、神様からいただいた3つの願いを生かしきれなかった
愚かな夫婦なのでしょうか。

作者のシャルル・ペローは、物語の最後にこう述べています。

「分別のない人、そそっかしい人、心配性の人、ころころ意見の変わる人、
こういうあわれな人たちは、願いごとをするには向きません。
そんな人たちの中には、せっかく天の恵み給うた贈り物を、使いこなせる者はほとんどいないのです」

どちらかというと否定的なニュアンスですね。

でも自分はそうでもないと思っています。

それまで、きこりは、早く死んであの世で楽になりたいと言うほど、
この世では、いい事が1つもないと思って生きてきました。

しかしおかみさんの鼻にソーセージがくっついてしまうと、
今まで貧しくとも、夫婦2人でつつましく健康に普通に生きてきたことが、
一番の幸せだと気づいた。

だからこそ最後の願いを、地位や名誉、金銀財宝のような物でなく、
ソーセージを取って、元通りに戻してください。
ということに使ったのではないかと。

このことは、神様への願いで地位や名誉、金銀財宝を出してしまったら、
ひょっとしたら、一生そのことに気づかなかったかもしれません。

3つの願いを与えた神様も、自分が最も良しとする、
一番素晴らしい願いをしてくれたと思ったのではないかと思います。


ところで、いろいろ検索していて見つけたソーセージの画像。
すごく美味しそうですよね。
これだけ美味しそうだったら、願いの3つのうち1つくらいは…ってことは無いですかね(^^;)
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