らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

小説「ひとすじの桜…ある詩人の生涯」前編

 

年も暮れようとしていた師走のある日、
重吉は、産まれたばかりの長男陽二をあやす妻登美子に言った。

「前から話があった千葉の柏の教職を受けようと思うんだが…」

登美子は一瞬手をとめ、ふと、今までの、ここでの生活のことを振り返った。

結婚して3年近く。
この温暖な神戸の御影で、貧しいながら仲睦まじく暮らしてきた。
その間に長女桃子と長男陽二も産まれた。

夫の重吉はといえば、学校の勤めから帰ってくると、
まず大好物のココアを飲み、シェークスピアキーツなど読んだ後、自らの詩作にふける。
そして夕方になると銭湯に行き、帰ってくると家族で夕飯を食べる。

そんなささやかな幸せを紡いできた御影での日々。

その幸せを果たして全く未知の地である柏でも、続けることができるのだろうか…


夫重吉は決して人づきあいのうまい方ではない。
むしろ一人でいることを好む人だ。
キリスト教徒だというが、一度も教会に行くのを見たことはなく、
独りで黙々と聖書を読んでいるだけであるし、
詩作も部屋にこもってして、普段は出かけることも少ない。

そのような夫が決心したのだから、よっぽどのこと…

乳飲み子の陽二がぐずり始めたので、
登美子はまたその世話に心を戻していった。


重吉には夢があった。
詩人として名をはせたい。
それにはやはり東京に行かなくては。
日本中の文壇の雄が集まる東京。
そこで認められなければ…

ちょうどそう思っていたところへ、柏の教職の口の声がかかった。

これは神の導きに違いない…

その時すでに、重吉のこころは、はや東京へと飛んでいた。


3月、家族四人は六甲山を背に、青い海が間近い丘の明るい日がある、
思い出に満ちた御影の家と別れて、関東に旅立った。


当時、柏は静かな村里で、重吉の赴任する中学は新校舎が完成したばかりだった。

新居の前にはだだっ広い原っぱに雑木林。
林のうえ遥かに筑波山が見えた。
御影の明るく温暖で優しい風土と違い、荒削りではあるが素朴な楽しさがあった。

その柏の風景は重吉の心の中そのものであった。
詩人としての自分を何も無いところから問う。

重吉は意欲に満ち満ちていた。

休みの日には神田まで出かけて、新しく出た詩人たちの詩集をたくさん買ってきては読んだ。
何人かの人々とも交流をもって、詩作について話をしたりもした。


原っぱ


ずいぶん
ひろい原っぱだ
いっぽんのみちを
むしょうにあるいてゆくと
こころが
うつくしくなって
ひとりごとをいうのがうれしくなる



学校から帰ると家族四人で、原っぱへ散歩に出ることが重吉は好きだった。
その日暮れ、雑木林の上に大きな大きな真っ赤な夕陽が沈むときは、
その荘厳さに思わず家族で目を見張った。



夕焼


あの夕焼のしたに
妻や桃子たちも待っているのだろうと
明るんだ道を楽しく帰ってきた



しばらくして協賛者の助力もあり、処女作「秋の瞳」が出版の運びとなった。

詩人として著名な佐藤春夫にも絶賛され、
ある人からは詩の同人雑誌の同人に入るよう、しきりに勧められた。
新聞にも寄稿を求められ、重吉は詩によるはじめての原稿料を手にした。
「秋の瞳」の批評は雑誌新聞に続々とあらわれてきた。

重吉は、いの一番に批評を書いてくれた人にこのような礼状を書いている。

「私はよくつぶやくように妻の前などで独り言のように云います、
「自分は五十になればほんとうの詩がかけてくる。
五十歳までは準備だ。それまでは苦るしい路だ」などと。
(中略)私は何かしら、大空をびん びんと ひびいてゆくような、
なみうってゆくような、力強いものをつかみたいのです。
しかし、私は非常に「弱い」性格でありますゆえ、
これからの路はくるしみの路であるとおもいます。
(中略)どうぞ、これからも、貧しき私の詩をご鞭撻くださいませ。」


今まで完全な孤独の中で詩作をしてきた重吉にも詩人の知り合いができ、
彼らと会ったさまを、重吉は登美子に目を輝かして一心に話した。
この時の重吉の家庭は希望と光に満ちていた。

家では幼子の長女桃子と踊ってみたり、
よい詩ができると「ブーチャン(妻登美子のあだ名)ケツ(傑作)だよ」と妻登美子を呼んで、
二人でニコニコ笑って喜び合った。



愛の家


まことに 愛のあふれた家は
のきばから 火をふいているようだ



しかし秋も深くなって、重吉は少々体調を崩した。
柏に来て半年あまり、がむしゃらに突っ走ってきた。

温暖な神戸の地から、筑波おろしの吹く柏の里に来てから、
気候も環境も変わり、無理がたたったのであろうか。

咳が止まらず、高熱を出すことも多くなった。


まだ家族の誰も、重吉の異変に気づく者はいなかった。
おそらく重吉自身も…

しかし、心をまっさらに透明にして詩を編んでゆく詩人の真っ白な心の中に、
ほんの僅かだが、小さな黒いシミのようなものを感じたのだろうか。
この頃、重吉は次のような詩を詠んだ。





虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙をさそわれる



その小さな黒いシミが、やがてどんどん大きくなり、
重吉の運命を覆い尽くしてしまうほどになってしまおうなど、
まだ神のみぞ知る出来事であった。



続く



画像は重吉が赴任した東葛飾中学
(現在の県立東葛飾高等学校)の校庭にある重吉の詩の碑