詩集「秋の瞳」八木重吉
私は、友が無くては、耐へられぬのです。
しかし、私には、ありません。
この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。
そして、私を、あなたの友にしてください。
この序文で始まる八木重吉の処女詩集「秋の瞳」。
生きるということは、
嬉しくて心踊らすことよりも、
心ざわめき、波立つことの方が多いように思います。
それは水面に石が投げ込まれると、波紋を生じ、幾重にも水面を波立たせるように、
心のざわめきが多く、大きいほど、
しかし、私には、ありません。
この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。
そして、私を、あなたの友にしてください。
この序文で始まる八木重吉の処女詩集「秋の瞳」。
生きるということは、
嬉しくて心踊らすことよりも、
心ざわめき、波立つことの方が多いように思います。
それは水面に石が投げ込まれると、波紋を生じ、幾重にも水面を波立たせるように、
心のざわめきが多く、大きいほど、
疲労であったり、悔恨であったり、怒りであったり、様々ですが、
それらが絶えず、彼の心に波紋を生じ、波打ち、
心静かにおさまるいとまがありません。
「白い枝」
白い 枝
ほそく 痛い 枝
わたしのこころに
白い えだ
心静かにおさまるいとまがありません。
「白い枝」
白い 枝
ほそく 痛い 枝
わたしのこころに
白い えだ
「無造作な 雲」
無造作な くも、
あのくものあたりへ 死にたい
「かなしみ」
このかなしみを
ひとつに 統(す)ぶる 力(ちから)はないか
「稲妻」
くらい よる、
ひとりで 稲妻をみた
そして いそいで ペンをとつた
わたしのうちにも
いなづまに似た ひらめきがあるとおもつたので、
しかし だめでした
わたしは たまらなく
歯をくひしばつて つつぷしてしまつた
「哭くな 児よ」
なくな 児よ
哭くな 児よ
この ちちをみよ
なきもせぬ
わらひも せぬ わ
八木重吉の心の苦悩、波打つざわめき、波紋のようなものを感じるでしょうか。
これらの詩は八木重吉が、24歳でとみ(登美子)と結婚する前後から、
桃子、陽二という2人の子供に恵まれるまでの数年間に詠まれたものを
「秋の瞳」としてまとめて出版したものです。
人生で最も意欲に燃え、
そして最も壁にぶちあたり、悩み多き時期。
八木重吉はこの時期、聖書を唯一の寄りどころとして、
独り黙々と詩作に励んでいたそうです。
妻登美子によると、
「秋の瞳」冒頭の序文は、重吉の心底からの願いであったであろうと回想しています。
そんな八木重吉に転機が訪れます。
今の千葉県柏の東葛飾中学(現在の千葉県立東葛飾高校)に招聘され、
神戸御影から移り住むことになったのです。
今まで慣れ親しんできた神戸を離れる時の詩、
「心 よ」
こころよ
では いつておいで
しかし
また もどつておいでね
やつぱり
ここが いいのだに
こころよ
では 行つておいで
しかし重吉は二度と神戸に帰ることはありませんでした。
柏に移り住んで1年足らずで肺結核を発病。
その翌年、重吉は妻と二人の幼子を残し、30歳で亡くなります。
しかし、病を意識し、病状が重くなるにつれて、
重吉の詩は純化し、透明感を増してゆきます。
あれほど波打っていた心のざわめきや波紋といったものが、
ウソのように平らかに静かに、そして安らかになってゆきます。
「秋のひかり」
ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう
「雨」
窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう