【絵画】「富士に献花」片岡球子
皆さん、あけましておめでとうございます。
今年最初の記事は初夢にふさわしい「富士」の絵のお話です。
年が改まり、表示画像も掛け替えようと思い、この絵を選びました。
「富士に献花」片岡球子
野太い線で堂々としていて、朝日に照りかえり真っ赤に染まった富士がとても見事です。
堂々と見事で、かつ華がある。
新年に皆さんにお見せするにふさわしい絵だと感じました。
画家のプロフィールを簡単に紹介しますと、
片岡球子(かたおかたまこ)
明治38年(1905年)生まれ。
画家志望に反対する両親から勘当を受けながら画業を進めるが、
20~30代の時は、たまに入選するも何度となく落選を繰り返し、落選の神様と呼ばれた時期もあった。
しかし中年期に至り、次第に自己の画風を確立してゆく。
型破りな構成、大胆な色使いにより一部の人々からゲテモノとも揶揄され思い悩むが、
球子は美しく描くことが全てではないと信じ自分の信念に従った創作を続ける。
従来の日本画の概念を揺るがすような力強い表現を確立し、
「面構」「富士山」では特に高い評価を受ける。
平成20年(2008年)103歳にて死去。
「富士」のシリーズは60歳を越えてから創作を始めたもので、
今年最初の記事は初夢にふさわしい「富士」の絵のお話です。
年が改まり、表示画像も掛け替えようと思い、この絵を選びました。
「富士に献花」片岡球子
野太い線で堂々としていて、朝日に照りかえり真っ赤に染まった富士がとても見事です。
堂々と見事で、かつ華がある。
新年に皆さんにお見せするにふさわしい絵だと感じました。
画家のプロフィールを簡単に紹介しますと、
片岡球子(かたおかたまこ)
明治38年(1905年)生まれ。
画家志望に反対する両親から勘当を受けながら画業を進めるが、
20~30代の時は、たまに入選するも何度となく落選を繰り返し、落選の神様と呼ばれた時期もあった。
しかし中年期に至り、次第に自己の画風を確立してゆく。
型破りな構成、大胆な色使いにより一部の人々からゲテモノとも揶揄され思い悩むが、
球子は美しく描くことが全てではないと信じ自分の信念に従った創作を続ける。
従来の日本画の概念を揺るがすような力強い表現を確立し、
「面構」「富士山」では特に高い評価を受ける。
平成20年(2008年)103歳にて死去。
「富士」のシリーズは60歳を越えてから創作を始めたもので、
そのきっかけを片岡さんはこうおっしゃっています。
「富士は最初、描くのはやさしいように思われました。
でもとんでもない。
描いても描いても、高さも大きさも心も、何もつかめないんです。
富士山と格闘する気持ちでいた時もありましたが、結局お手上げでした。
もう降参しなさい、って富士山に言われたような気がしました。
それでは申し訳ないと、富士への御礼として、
1年に1回、花で飾った富士山の絵を差し上げることにしたんです。」
それ以来、片岡さんは40年以上にわたり富士を描き続け、
「富士は最初、描くのはやさしいように思われました。
でもとんでもない。
描いても描いても、高さも大きさも心も、何もつかめないんです。
富士山と格闘する気持ちでいた時もありましたが、結局お手上げでした。
もう降参しなさい、って富士山に言われたような気がしました。
それでは申し訳ないと、富士への御礼として、
1年に1回、花で飾った富士山の絵を差し上げることにしたんです。」
それ以来、片岡さんは40年以上にわたり富士を描き続け、
皆さんに紹介した赤富士はその中の1枚というわけです。
ちなみにこちらの青い富士の方は、
山部赤人の短歌(昨年末「日めくり万葉集」の記事で紹介したものです)に触発され、
93歳の時に描いたものだそうです。
93歳とは思えないエネルギーに満ちた線でとても存在感がある絵です。
ということで、これらの絵を自分の年賀とさせていただきます。
なにとぞ今年もよろしくお願いいたします。
93歳の時に描いたものだそうです。
93歳とは思えないエネルギーに満ちた線でとても存在感がある絵です。
ということで、これらの絵を自分の年賀とさせていただきます。
なにとぞ今年もよろしくお願いいたします。