らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

100分de名著「銀河鉄道の夜」宮澤賢治 第3回 みんなつながっている

今回のテーマは「みんなつながっている」というものでした。

冒頭、パルバースさんが
「私はあなたであり、あなたは私であり、全ての人はつながっている。
のみならず、山や光、動物や昆虫など自然に存在するもの全てともつながっている」
という賢治の意識について述べました。

それに対して司会者は
「なるほど…とは言ってみたものの、疑問もいろいろと…」
というようなことを言っていましたが、
彼らがそういう賢治の意識にピンとこなかったのは当然といえるのかもしれません。

賢治は自然の中に身を置いて、そういうものを「感じて」得たのですから。
司会者は理解しようと、自分の頭の中で「考え」ようとしていたので、
理解することができなかったのでないかと思います。

あまり知られていませんが、賢治が自分の作品の読み方といったようなものを書いた文章があります。

それは「注文の多い料理店」序文なのですが、
その中に
「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです」

要は賢治の「みんなつながっている」という意識は、こういう生き方から得られたものなのです。
なお、この「注文の多い料理店 序文」はぜひ全文を読んでいただけると嬉しいです。
ブログの記事にもしていますので、参考にしていただければと思います。

番組では「みんなつながっている」の説明が、どうも少々わかりにくかったような気もします。
とらえようによっては、ちょっと宗教っぽい?過度の禁欲、過度の自己犠牲を強いるような
ニュアンスに感じた方もいらっしゃったのではないでしょうか。

そこで自分なりに、この賢治の意識をわかりやすく説明すると、
「常にひとつの大きな生命の一部としての意識を持ち続ける」
ということで、良いのではないかと思っています。

ひとつの大きな命の一部であるからこそ、
「私はあなたであり、あなたは私であり、全ての人はつながっている」といえますし、
「山や光、動物や昆虫など自然に存在するもの全てともつながっている」と意識することが
できるのではないかと思います。

なんだ、そんな「考え」珍しくもないとおっしゃるかもしれません。

しかし、そのような賢治の意識を「考えて」理解するのと、
「感じて」理解するのとでは雲泥の差があります。
自分なりの捉え方ですが、「感じて」理解したものというのは「考えて」理解したものよりも、
意識といいますか、魂といいますか、そういったものに分かち難く合わさっているものだと思っています。

賢治は科学的素養もあり、全ての物質は同じ原子で構成されているという知識があったそうですから、
そういうことからも自分の感じたことの正しさを強くしたのかもしれません。

賢治は自分がそのように「感じた」ものを他の人にも感じて欲しいと、
物語というカプセルに閉じ込めて、我々に贈ってくれたのだと思っています。

番組の最後に司会者が
「この考えは、私たち今を生きている人間にとって、何かプラスになるようなことなんでしょうか」
とパルバースさんに質問していました。

この司会者の質問こそ、賢治の意識と対極の考え。
悪くいえば、自分のためになりそうなところは取り入れて、それ以外は切り捨てる。
自分と自分以外のものを明確に区別する自我の意識といえるでしょうか。

賢治からすれば、プラスであろうがなかろうか、全てでひとつの命なんだから、
共に生きる道を常に模索しなければいけない。ということになるでしょう。

最後に、みんなつながっているの内容にふさわしい、
番組でも紹介された「何と云われても」の詩を記して終わります。
この詩の題名自体が賢治の強い確信を表していると感じます。



「何と云われても」


何と云われても
わたくしはひかる水玉
つめたい雫
すきとおった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである