らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2011】27 衣手に 水渋付くまで

今回最も感じ入った歌は


衣手(ころもで)に
水渋(みしぶ)付くまで
植ゑし田を
引板(ひきた)我が延(は)へ
守れる苦し



或者



袖に
水垢がつくほど
苦労して植えた田んぼなのになあ
鳴子をつけた縄を巡らせて
見張りをするのはつらいものだ



自分が子供の頃は母親から、「米」という字は「八」「十」「八」という字からなり、
米は八十八もの手間をかけて食べられるようになる、と教えられました。
お百姓さんが様々な手間ひまをかけて作った物を、
絶対に残してはいけないと厳しくしつけられてきました。

それはよく考えてみれば、ごくごく当たり前のことかもしれませんね。


この和歌は奈良時代の名も無き農民の、米作りの大変さを詠んだ和歌です。

詠み人が「或る人」というのは、詠み人知らず以上に無名感を感じるというか、
或る農民が思わずつぶやいたことを、
通りすがりの誰かが聞いて、書き留めたような雰囲気すらあります。

最後の「守れる苦し」は「守れる苦しき」や「守れる苦しさ」と比べても、
苦しさが止まって溜まっている感じで、思わず胸がつかえてしまうような気持ちになってしまいます。

当時は全てが手作業で、今とは比べものにならないくらいの労力がかかったことでしょう。
灌漑設備も貧弱ですから、日照りや大水など自然の影響ももろに受けてしまったことでしょうし。

そのような米作りの諸々の苦労の溜め息が聞こえてきそうな歌です。

科学技術が発達し、灌漑設備など整備された今日でも、
米作りの苦労はなかなか解消されるものではありません。

人間の命をつなぎとめる「農」というものの大変さを、
今一度、現代人は再認識する必要があるのかもしれません。