らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「牛人」中島敦

この物語は「春秋左伝」という二千数百年前に中国で書かれた書物を題材にしたものです。

原典では、魯の国の大夫(貴族)叔孫豹(しゅくそんひょう)の執事の豎牛(じゅぎゅう)が
その信頼をいいことに、主人を欺き後継ぎの息子を殺させ、最後は主人自身を餓死させ、
金品財宝の類を奪って他国に逃亡するという話を簡潔に述べています。
「左伝」では事実関係を淡々と描写した感じなのですが、
韓非子」では、君主の臣下操縦のための心得の一つとして、
臣下の言葉をうのみにせず、必ず事実と照合しなければならないことの教訓話として紹介しています。

しかし作者中島敦は「韓非子」と異なる観点から、この物語の意義を与えているようです。

それはどのようなものなのでしょうか。

作者は「左伝」の記述に準じて、豎牛のキャラを極めて具体的に強調して描写しています。
豎牛をその名前に絡めて、色の黒い・目の凹んだ・せむしで牛そっくりの異形の男としています。

冒頭で、叔孫豹は夢を見ます。
音も無く天井が下降し始め、逃げようともがくも、身体は寝床の上に仰向いたままどうしても動きません。
その時、牛に似た異形の男が手を差伸べて助けてくれます。

ほどなく叔孫豹は道すがらの女に産ませた夢そっくりの豎牛と出会います。
夢での好印象及び豎牛の頭の良さ、異形ながら滑稽な愛嬌のある笑顔を可愛がり、
家政のほぼ一切を任せるようになっていきます。
叔孫豹が病で床につくようになってからは、のみならず病中の身の回りの世話から、
病床よりの命令の伝達に至るまで、全てを任せるようになります。

これを逆手にとって豎牛が叔孫豹の後継ぎの息子を亡き者にしたのは原典と同様です。

その頃、叔孫豹もようやく不審を抱き、豎牛に問いただしますが、
その時豎牛の唇の端が、嘲(あざけ)るように歪んだとの描写が非常に冷酷で無気味です。
彼が今まで決して見せなかった醜い本性をみせた瞬間です。

今までの習慣で豎牛の手を経ないでは誰一人呼べないことになっていたので、
それからというもの叔孫豹は食事を与えられず、いいようになぶられ続けます。

そんなある夜、叔孫豹は冒頭と同じような夢を見ます。
しかし今度は異形の男は手を差し伸べてくれません。
ある時は黙ってにやにやし、ある時は怒ったような固い表情で
眉一つ動かさずじっと叔孫豹を見下します。

ハッとして起きると、夢の中とそっくりな豎牛の顔が、
人間離れのした冷酷さを湛えて、静かに見下しています。

「その貌(かお)はもはや人間ではなく、真黒な原始の混沌に根を生やした一個の物のように思われる」
と描写しますが、人間の中の獣の姿を言い表したおぞましくも見事な表現だと思います。

その表情を見て叔孫豹は骨の髄まで凍る思いがします。
「それは己を殺そうとする一人の男に対する恐怖ではなく、
世界のきびしい悪意といったようなものへの、へりくだった恐れに近い」と描写します。

これはどういう意味なんでしょうか。

この牛に似た異形の男のというより、人間全体が心奥に持っている豎牛の姿形のごとき
獣の心の存在に気づき絶望的な恐怖畏怖といったものを感じたということでしょうか。

あまりにも醜い人間の欲望的な獣の心の存在に、すっかり飲み込まれてしまったのでしょうか。
刃向おうとする気力も失せた叔孫豹はほどなく餓死してこの世を去ります。

この物語、豎牛が本性を顕わにしてからの冷酷さの描写が非常に見事だと思います。

豎牛の姿形を牛に似た異形として強調したのは、
人間の内奥に潜む獣性をデフォルメする意図だったのでしょうか。

作者中島敦の巧みなうまさが光る短編だと思います。