らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「東西ほくろ考」堀口九萬一







この作品は「ほくろ」に対する東西の美的感覚の違いについて述べたエッセイです。
ただしその美的感覚は戦前に関するものであることに要注意です。

それによると、従来日本では女の顔のほくろは美貌の瑕疵(きず)とされ、
西洋では美貌を増すものとして尊重されていたとしています。

語源からして、東洋では「ほくろ」は古書に「ははくろ」とあり、それは「ははくそ」の転。
つまり「くそ」との位置付け。
一方、西洋では「ほくろ」のことをグレン・ド・ボーテ(grain de beaute')、
つまり「美の豆粒」と称していたそうです。

「美の豆粒」とはとても艶やかな表現ですね(^^)

それゆえ西洋ではつけぼくろが18世紀頃大流行し、
それはフランス語では「ムーシユ(蝿)」と呼ばれたそうです。

当時の「ムーシユ」は少なくとも必ず三点以上つけたそうです。
即ち左の目の上に二つ。右の目の上に一つ。
この外に好みで頬につけたようです。

ちょっと今の美的感覚とは違いますね(^_^;)

現在(大正時代くらい)では「ムーシユ」のつけ方はだいぶ異なり2つ以上はつけないそうです。
例えば一つは目の下の少し横の方と、下唇の右か左かへ一つつけるのが一般的とのこと。

ただ商品は多様化しており、パリあたりの化粧品店には大小色々な形をした「ムーシユ」を売つており、
その「ムーシユ」の色合も深黒、青黒、浅黒などと種々変つたのがあるとのこと。
女性は自分の皮膚の色や目の色や髪の毛の色などとその調和を保つに最も適した色合、
即ち自分に一番よく似合うものを撰んでこれを愛好しているそうです。

21世紀の今現在、ほくろのおしゃれってどうなんでしょう。
日本ではあまり流行っていないような気もします。
欧米などでは古典的なおしゃれとして今もなされているのでしょうか。


著者は東西でどうしてこのような「ほくろ」に対する認識の違いが現れているか、
いくつか理由を述べています。

まず一つとして、東洋人と西洋人との皮膚顔面の色や、毛髪や、眼の色の違い。

即ち東洋人の黄色い顔面の「ほくろ」は、黄色と黒色との色調がそぐはないので
「ほくろ」があれば顔が却つて醜く見えるとします。
それに対し西洋人の白い顔面はほくろの黒とコントラストをなして、
非常に映えるものとして位置付けます。

あー、色彩感覚的にこれはあるかなあとも思います。
逆にいえば東洋人でも色白な女性はほくろが似合うということになりますね(^^)


もう一つの理由として、東洋人と西洋人の美人に関する見方の違い。

即ち東洋の美人とは端正、静粛などと、専ら「静淑」を基本としているのに対し、
西洋の美人とは「動」を基本としているとのこと。

そうすると西洋では「ほくろ」は表情を助けてこれを強調するのに大いに役立つことから
重宝されているとのこと。
他方、東洋の美は「静」を基調とするので、
その正整がその必要条件となり左右対象が取れていなければならないとのこと。

この理由については、21世紀の現代では美人の観念も多様化しており、
必ずしも当てはまらないような気がします。
和服の人でも頬とか顎の辺りにあるほくろは艶っぽく見えますけどね。

ところでほくろが魅力的な日本人というと誰でしょう。
自分は南野陽子さんと沢口靖子さんと川原亜矢子さんくらい…かな(画像参照)

今まであまりほくろに注目して女性を見てこなかったかも(^_^;)
とするとやっぱり日本でほくろは、
美のポイントとしてあまり重視されてこなかったってことなんでしょうか。