【万葉集2011】22 月待ちて家には行かむ
今回最も感じ入った歌は
月待ちて
家には行かむ
我が刺せる
あから橘(たちばな)
影に見えつつ
粟田女王
月の出るのを待って
家へ帰ろう
私の髪にさしている
真っ赤に色づいた橘の実を
月の光に照らしながらね
この短歌を読んで思ったことは、この人は、なんて優美で心に余裕があるんだろうということ。
とても落ち着いていて堂々としているようにも感じます。
そして、髪に真っ赤な橘の実をさして、それを月に照らしながらなんて帰ろうなんて、
月待ちて
家には行かむ
我が刺せる
あから橘(たちばな)
影に見えつつ
粟田女王
月の出るのを待って
家へ帰ろう
私の髪にさしている
真っ赤に色づいた橘の実を
月の光に照らしながらね
この短歌を読んで思ったことは、この人は、なんて優美で心に余裕があるんだろうということ。
とても落ち着いていて堂々としているようにも感じます。
そして、髪に真っ赤な橘の実をさして、それを月に照らしながらなんて帰ろうなんて、
ロマンチックでおしゃれ心にも溢れています。
この歌は橘諸兄の屋敷で開かれた宴で粟田女王(あわたのおおきみ)が締めくくりに詠んだ歌だそうです。
古来日本人の月に対する心理には、美意識だけでは割り切れない信仰的な神秘感が存在していたそうです。
また古来、生の草花を髪にさすことは邪気を払うという意味があったとのこと。
歌が落ち着いて力強く感じるのは、
この歌は橘諸兄の屋敷で開かれた宴で粟田女王(あわたのおおきみ)が締めくくりに詠んだ歌だそうです。
古来日本人の月に対する心理には、美意識だけでは割り切れない信仰的な神秘感が存在していたそうです。
また古来、生の草花を髪にさすことは邪気を払うという意味があったとのこと。
歌が落ち着いて力強く感じるのは、
月の神々しい光を浴び、邪気を払うということのせいもあるのかもしれません。
こういう心をもつには、現代は時間がせかせかと流れすぎているのかも。
ゆったりとした時間の流れの中で心をひたす余裕があってこそ生まれる歌のような気がします。
今現在の我々も、たまには月の光の力を感じるほど月を眺めてみるのもよいのかもしれません。
こういう心をもつには、現代は時間がせかせかと流れすぎているのかも。
ゆったりとした時間の流れの中で心をひたす余裕があってこそ生まれる歌のような気がします。
今現在の我々も、たまには月の光の力を感じるほど月を眺めてみるのもよいのかもしれません。