らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【閑話休題】「ふうすけ」後編

 
続きです。

前編でふうすけの取った選択。
当時は寒がりな犬だなくらいにしか思わなかったけれども、
今になって考えてみると二人の主人のメンツを保ち、争いを打ち止めしたのだから、
大岡越前も思わずにやりの素晴らしい裁きだったと思います(^_^;)


時は経ち、自分は中学生、弟が小学校高学年になったある日の朝、
いつもの散歩に出かけようとした弟が泣きながら戻ってきた。
「ふうすけが死んでる」

あの時弟は大泣きしたが、後にも先にもあれほど泣いた弟を見たことがない。

ふうすけの死は蚊を媒介とするフィラリアが原因だった。
今でこそ室内で犬を飼うというのは普通になっているが、
当時田舎では室外で飼うのがまだ普通だった。
蚊取り線香など焚いて注意していたのだが限界があった。

ふうすけが死んで弟があまりにしょんぼりしているので、
両親が心配し弟を連れて新しい犬を買いに行った。
好きな犬を選んでいいよと言ったらしいが、弟は死んだふうすけと全く同じ犬を選んだ。
当時ロングヘアーが出始めで店の人にも勧められたそうだが、
弟は頑なにふうすけと同じ犬がいいと言ったらしい。
名前も新しくつけようと思ったが、
「ふうすけ」の名前を長い間愛着をもって使っていたので名前もそのままにした。
今度は初代の轍を踏まないため、玄関の中にカゴを置いて、そこで飼うことにした。

前と異なり、自分は中学の部活やらなんやらで帰りが遅くなったため、
散歩は朝は自分で晩は弟が担当した。

やがて自分は大学入学で上京したため、朝の散歩は母の担当になった。
帰省すると散歩は自分がしたが、
1年にわずかしか顔を合わさなくても、尻尾をちぎれんばかりに振って飛びついてきてくれると、
やっぱり嬉しかった。

一時期、弟も家を離れたことがあり、その時は母が全部面倒を見ていたが、
息子二人が家を離れた寂しさをふうすけがかなり慰めてくれたらしい。
二人一緒に帰省しても母に素っ気ない態度を取っていると
「本当の家族はふうすけだけだわ。」
とよく当てつけめいた台詞を言われたものだ(^_^;)

やがて自分と弟は社会人になり、自分は首都圏に残ったが、弟は地元で親と同居した。

数年経ち、たまたま名古屋に出張する用事ができたので実家に泊まるからと連絡したところ、
母から「ふうすけが年を取ってフンも出にくくなっている。あんたが帰ってくるまでもつかどうか」
というメールが来た。

もう13年も生きたんだもの。人間でいえば80歳くらい。
いつ死んでも仕方がないと覚悟して帰省したが、果たしてふうすけはまだ頑張って生きていた。
見るからに年老いた顔。ぷるぷる小刻みに震えている。
それでも手をさし出すとペロペロなめて力なく尻尾をぱたぱた振ってくれた。

家にいる間ずっと様子を見ていたが、ほとんど毛布にくるまって身動きひとつしない。
母の話ではここ一週間は水もほとんど飲まないらしい。
そこで自分が器にミルクを少し水で薄めてふうすけの口元に持っていった。
「ちょっとでもいいから飲んで、ふうすけ」と呼びかけると毛布から顔を出し、数回ぴちゃぴちゃなめた。
これを見て母が驚いた。
「誰がやっても飲まなかったんだよ。あんたの時だけだわ、飲んだの」

次の朝、仕事に出る時、ふうすけのカゴを見ると全身毛布にくるまったままだった。
「じゃあ行ってくるからね。」
するとふうすけはパタパタと数回尻尾を振り、毛布から鼻を出した。
手を差し出すとペロッとひと舐めした。

自分は出張の仕事からそのまま帰京した。

次の日母からメールが来た。
「今日の朝ふうすけ死んだよ。あんたぎりぎり会えてほんと良かったわ」

実家の家族は初代と異なり遺体を処理業者に引き渡さず、庭に深い穴を掘って埋め、
上にザクロの木を植えた。
その木は数年経ってきれいなオレンジ色の花をちらほらつけるようになった(画像参照)。



明日エピローグをちょっとだけ…