【旅】長崎原爆の旅
今日は長崎原爆忌。
広島に比べるとどうしても印象的に一歩譲る感じですが、その悲劇は広島をも上回るものがあります。
この日、実は原爆投下第一目標は福岡県小倉(今の北九州市)でした。
しかし当日小倉は曇天で視界が悪く、何度か投下を試みますが、果たせませんでした。
仕方なく第二目標の長崎に向かいましたが、長崎も同じく曇天。
広島に比べるとどうしても印象的に一歩譲る感じですが、その悲劇は広島をも上回るものがあります。
この日、実は原爆投下第一目標は福岡県小倉(今の北九州市)でした。
しかし当日小倉は曇天で視界が悪く、何度か投下を試みますが、果たせませんでした。
仕方なく第二目標の長崎に向かいましたが、長崎も同じく曇天。
何回か投下を試みましたがやはり果たせず、仕方なく引き返そうと思ったその時。
運の悪く、にわかに、厚い雲が切れ、雲間から地上の長崎の町が見え、
そこに放り込むように原爆は投下されました。
ある意味やっつけ仕事的な投下だったので、
しかも山に囲まれた地形で炸裂したため、
例えていえば空き缶のような空間の中で爆弾が炸裂するような感じでしょうか。
その中にいた人はほぼ圧死状態だったでしょう。
その中にいた人はほぼ圧死状態だったでしょう。
爆心地付近に山王神社の鳥居が片足で今も立っていますが、
爆風が直撃したところの凄まじさを物語っています。
投下時の爆風で破壊された天主堂の壁と頭がもげてしまったものもある聖人像は、
今もそのままの形で保存されています。
公園内にとてもきれいな噴水があります。
噴水の中に置かれた石碑の文言が目に止まりました。
「のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくてとうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
あの日の少女の手記より
噴水の中に置かれた石碑の文言が目に止まりました。
「のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくてとうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
あの日の少女の手記より
ペットボトル1本分の水を捧げて祈りました。
前の記事の繰り返しになりますが、
前の記事の繰り返しになりますが、
広島長崎の原爆体験を風化させず、正確にその「事実」を語り継ぐのは義務だと思っています。
その趣旨から今回広島長崎2つの記事を書いてみました。
その趣旨から今回広島長崎2つの記事を書いてみました。