らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】13 水戸黄門(徳川光圀)



前の記事のおまけで史実の水戸黄門について少し書きます。

水戸黄門こと徳川光圀徳川家康の孫。
水戸黄門とは水戸藩主で中納言(黄門)に任命された者の名称で、
徳川光圀を指す固有の名称ではありません。
ただ水戸黄門というと徳川光圀のことと一般では通っています。
太閤といえば豊臣秀吉、判官といえば源義経というようなものですね。

史実の水戸黄門は今の茨城県及び西は箱根辺りまでしか行ったことがなかったらしい。
全国を旅するキャラになったのは後の水戸黄門漫遊譚によるところが大きいとの事。

ただ意外にも水戸藩は日本中でも年貢が極めて重く、農民は重税に苦しんだ。
武士の家計簿」という本を読むとわかりますが(最近映画にもなった)、
武士という階級は格式が重要であり、冠婚葬祭を始めとする儀式の費用がかなりのウエイトを占めていました。
水戸藩は御三家という格式の高さの割には三十万石程度の藩であり、
その格式を保つための負担が過大であったのでしょう。
更に水戸黄門大日本史の編纂を手がけましたが、
その費用は藩歳入のなんと30%ほどを占め、水戸藩財政をかなり圧迫したそうです。

しかし水戸黄門は当時の将軍徳川綱吉の生類憐れみの令に公然と反発し、
野犬数十匹を捕らえ犬の皮を綱吉に献上するなど挑戦的態度をとり、
生類憐れみの令に苦しんでいた人民の人気が高く、当時から世に名君の誉れ高かった。

その辺りのエピソードが結実して、現在親しまれている水戸黄門像が作られたと思われます。

日本の歴史上最初に光圀が食べたとされるものはラーメン、チーズ、餃子などなど。
新しいことについて好奇心も旺盛だったようです。
71歳で食道癌のため死去。

若い時はかなり素行の悪い不良少年だったそうですが、
ある時、司馬遷史記」を読んで感銘し学問に勤しんだとのこと。
つまり水戸黄門は本との出会いで人生が転換した人なのです。
自分のブログにうってつけの人物ではありませんか(^_^;)

史記に傾倒し、後に大日本史を編纂するなど、確かに水戸藩財政をかなり圧迫しましたが、
幕末の尊皇思想に大きな影響を与えるなど、歴史的価値は非常に大きいものがあります。
自ら諸国を漫遊せずとも水戸黄門の思想は諸国を巡り、
人々に知れ渡ったといえるかもしれませんね。