らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「安井夫人」森鴎外

森鴎外第2弾は「安井夫人」。
主題は「女の一生」さらに広く「人間の一生」というところでしょうか。

安井夫人とは江戸末期の大儒学者安井息軒の妻お佐代のことである。
仲平(息軒の本名)は黙々と学問に励み、誰もが将来は偉くなるだろうと噂するも、幼い頃天然痘を患い、顔はひどいあばた面で片目を失明し、村人から密かに猿と陰口を叩かれていた。
30歳目前で縁談をもちかけたところ、その醜い容貌によりむげなく断られるも、村でも評判の美人の妹お佐代が自らこの縁談を申し出てと夫婦となった。
村人は皆なぜお佐代がよりによって醜い仲平を選んだか不思議がった。
結婚後は当時の普通の夫婦と変わらず、子どもが生まれたり死んだり、生活は苦しくはないけど楽でもない。
夫は黙々と学問を積み重ね、ゆっくりと世に名を知られていく。
お佐代は仲平が江戸に出たときは留守居を預かることが何度かあったが、それ以外は表に出ることなく奥の仕事を黙々とこなし、51歳で亡くなった。
夫の仲平こと息軒が最も出世したのはお佐代の死後である。

この小説は主人公お佐代の心の内の描写はほとんどなく、唯一仲平と結婚を決める際僅かにあるだけである。
お佐代が亡くなった時の描写も主人公としてはあっけないほど簡単で拍子抜けしてしまうほど。

では鴎外はのお佐代の人生のどこに感じ入って小説としたのか。
お佐代の人生について鴎外としては珍しくやや興奮気味に一気に語っている部分がある。
やや長いが引用する。

「お佐代さんが奢侈を解せぬほどおろかであったとは、誰も信ずることが出来ない。
また物質的にも、精神的にも、何物をも希求せぬほど恬澹であったとは、誰も信ずることが出来ない。
お佐代さんにはたしかに尋常でない望みがあって、その望みの前には一切の物が塵芥のごとく卑しくなっていたのであろう。
しかしもし商人が資本をおろし財利を謀るように、お佐代さんが労苦と忍耐とを夫に提供して、まだ報酬を得ぬうちに亡くなったのだと言うなら、わたくしは不敏にしてそれに同意することが出来ない。
お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでいただろう。
そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。」

鴎外は昔ながらの儒教的な良妻賢母的生き方と捉え満足を覚えたのだろうか?

自分はお佐代の大樹のごとき生き方に鴎外自身が共感を覚えたからではないかと思っている。

即ち大樹とは自分の決めた場所に一旦根付けば、その環境で与えられたものだけで枝を伸ばし、葉を広げ、果実を実らしてゆく。
動物及び人間と異なり必要もしくはそれ以上のものを求めてさまようことはしない。

嫁ぐ先で自分の与えられた仕事をぬかりなく淡々とこなし淡々と生き、不足をいうことなく淡々と一生を終える。
それこそが彼女の大きな望みだったのではないか。

ただ大樹といえど唯一自己主張するときがある。それはどこに芽を出し根を下ろすかという時である。
仲平の評判を聞いていたお佐代が、たまたま姉との縁談が破談になった時、芽を出し根を下ろす場所を見いだし、自ら縁談を申し入れたのではないか。
だからこそ唯一仲平と結婚を決める際にのみ、お佐代の心の内が描写されているのではないか。

そして題名を「お佐代」でなく「安井夫人」としたのはお佐代が安井息軒の妻として根付き、成長して枝を広げ実をつけるが如く人生を送ったことに対する敬意の表れではないかと思う。

そのような生き方からすれば、死はそれほど重大事ではない。静かに淡々と行われるもので、動物及び人間のように苦を感じるものではない。
それ故お佐代の死もあっけないほど淡々と描写されているのではないか。

森鴎外は長く陸軍の中枢に属しており、当時の陸軍は日露戦争後の日の出の勢いの時期であったので、出世と栄達を求める者どもの塊のような場所だったに違いない。
にもかかわらず鴎外自身「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言し、墓には一切の栄誉と称号を排して「森林太郎ノ墓」とのみ刻させたのは、そのような出世や栄達を貪欲に求めていく人生の無意味さを感じていたからではないかと思う。