らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「高瀬舟」森鴎外



江戸時代、京都奉行所にて遠島を申し渡された罪人は、
京都を流れる高瀬川を舟に乗って大坂に護送されていた。

その護送の舟、高瀬舟で今回護送される弟殺しの喜助は、
いつもの罪人とは様子が全く異なり、
顔は終始晴れやかで目に輝きすらある。

それを不思議に思った護送人の同心庄兵衛は、
その理由を問うてみる。
喜助曰わく、彼は幼い頃両親を失い以来弟と助け合って生きてきたが、
苦しい生活の連続であった。
しかし今回の件で奉行所に世話になり感謝すらしていると言う。

喜助の口調には虚栄、媚びといったものは認められない。
人間の欲望というものは際限がなく、
人間は常にあるべきものが足りないという不安に怯えながら生きているが、
この喜助は足るということを知っており心に淀みがない。

庄兵衛は、喜助と比べればはるかに恵まれた環境にあるはずなのに
愚痴や不満が耐えないのを恥じ、
喜助に対し尊敬の念すら感じるようになる。

ではどうしてこのような男が弟殺しをしてしまったのか。

苦しい生活の上、弟が病気になってしまい兄弟の生活は喜助の双肩にかかることになる。
それを苦にした弟は自殺を図るが死には至らぬ瀕死の状態で喜助に発見される。
喜助は最初弟を助けようと手を尽くすが弟はそれを激しく拒絶。弟の望み通りにするに至り安らかな顔になり、やがて静かに死に至る。

庄兵衛は考える。
人殺しというのは、通常その人間の意思に反して命を奪うものであるが、
喜助の場合は弟の真摯な願いを聞き入れてその通りにしたものである。

また喜助はずっと兄弟2人で懸命に助け合って生きてきたのであり、
今回の行為も弟を苦から救ってやろうとしたもので、
その延長線上にあるともいえる。
まして喜助が自らの欲望のためにしたものではない。

これが果たして人殺しといえるか。

これを現在の刑法上の話に引き直すと少々話は複雑になる。
現代の刑法は応報やら法益保護やら社会防衛やら犯罪者の更生やら
いろいろな要素が絡み合っていて犯罪が構成されており、
どの要素を強調するかで喜助の行為に対する評価も変わってくる。

鴎外は人を殺すとは何かということを、ある意味、倫理的もしくは哲学的な意味で問いかけているように思われる。

その上で鴎外は、庄兵衛の口を借りて「オオトリテエ(権威)に従い、お奉行様の判断をそのまま自分の判断にしようと思つた」として真正面から答えてはいない。

しかしなお、
「そうは思つても、まだどこやらに腑に落ちぬものが残っているので、
なんだかお奉行様に聞いて見たくてならなかつた。」
と含みを残している。

ある意味、鴎外は奉行=読者、庄兵衛=鴎外という関係で判断を読者に委ねて意見を聞きたいと思っているのかもしれない。

鴎外のその問いかけに対しては、自分は喜助の場合は罪に問われるべきではないと感じる。
なぜなら喜助の行為により弟の命が「害された」とは倫理的に評価できないのではないかと思われるから。
ただ実際の事実や動機の認定はなかなか難しいかもしれないが。


なお「高瀬舟」の記事を書くに当たり、
自分のよく見るブログでツーリングが趣味の方がいらっしゃって桜満開の高瀬川の画像を掲載されていた。
この小説も桜が散る頃を舞台にしているため、
庄兵衛と喜助が下った高瀬舟も、こんな桜の中の高瀬川を下ったのかなと
想像をふくらますことができ、記事を書こうと思った。
そのようなインスピレーションを与えてくださりとても感謝しています。
この場を借りてお礼を申し上げます。