らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】9 円空 エピローグ



実を言いますと、この自分、大学生の時、趣味で仏像を彫ろうと道具一式買い揃えたことがあります。

仏門の先祖の血が騒いだか、抱えきれない恋の悩みがあったのか、円空さんが呼んだのか、
今となっては動機はよく覚えてませんが、ほとんど発作的だったかも(^_^;)

教本らしきものを見ながら見よう見まねで彫刻刀を木に入れたのですが、
木って思いのほか固いんですよ。
よほど力を入れないと思うような形になってくれません。
かといって力を入れすぎると削り過ぎてしまいます。
一度削り過ぎると、ボンドでくっつける以外復元不可能ですから、
慎重に削らないといけないんです。
要は慎重すぎず大胆すぎず、ちょうどいい力加減が大事だということですが、
これがなかなか難しくて。

結局勇んで買った角材は、野生の熊が歯の掃除をするのにかじったような形だけを残して、
ついに仏の形として現れることはありませんでした。

まあそういうわけで一応仏像彫刻の経験者ですから(^_^;)、
円空さんの大変さは非常によくわかるのです。

12万体など超人の域です。
たぶんノミと小槌を振るい続けて筋骨隆々な人だったと思います。
自分も数日やっただけで肩が筋肉痛になりましたから。

いくら熟練していたとはいえあれだけたくさんの仏像を彫ったのですから、
ひょっとしたら円空さんの手は傷だらけだったかもしれません。
しかしその傷だらけの力強い手で無数の仏像を作り出してきたわけです。

円空さんは旅の道すがらで無数の人々に出会い、無数の自然に触れあい、
無数の仏像を彫るうちに、
この世に存在する生きとし生けるものに仏が宿っているのを感じたのかもしれません。

それを象徴するエピソードがあります。
尾張(今の愛知県)で3メートルほどの仁王像を制作していた円空さんですが、
その制作の際に出た本来は捨てるべき木の削りカスで、いわゆる木っ端で千面菩薩像を作り上げたのです。
3センチほどの全て表情と形が異なる小さな千の仏像(冒頭画像参照)。

千面菩薩像の作品の力は、他の大きな作品におさおさ劣るものではありません。
小さくとも独特の存在感を示しており、まさに仏が宿っていると言っていいものです。

円空さんのすごいところは木の木目や木っ端の形を生かして、
その木片に最も似合った仏像を彫ってしまうことです。
まさに万物それぞれに仏が宿るを実践した人だと思うのです。

その時制作した仁王像と千面菩薩像は名古屋市にある荒子観音に安置されています。
近くにお住まいの方はぜひご覧になってください。

自分も名古屋に帰省した際行ってみようかと思っています。