らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】9 円空











円空という僧をご存知でしょうか。
円空仏をご存知の方でも円空自身の生涯をご存知の方は少ないのではないでしょうか。

出自について正確なことは不明。
伝承によると江戸時代初期1632年に今の岐阜県羽島に生まれる。
父は誰であるか不明。私生児であったという。
母の手ひとつで育てられたが、幼いうちに母を長良川の洪水で失い、寺に預けられ修験道の道に進む。
成人し、主に東日本を行脚し当時蝦夷地と呼ばれた北海道の洞爺湖の辺りまで至る。
仏像を彫り始めたのは30歳過ぎてからで師匠はなく全くの我流。
亡くなるまでの30年間に彫った仏の数は12万体。

円空仏を見ると独特の荒削りの仏の顔に思わず吸い寄せられる何かを感じます。

円空仏は様々なものがあり大きさも3メートルのものから3センチのものまで、
表情や形もわりかしスタンダードなものから前衛芸術のようなものまで様々です。

30年で12万体というと1日当たり約10体彫らなければなりません。
ここで旅で歩きながらとか食事の合間とか細切れの時間を利用すれば、
ギリギリなんとかなるかもしれないと思った方もいらっしゃるかもしれません。

しかし仏像を彫ること自体が修行であり、いつどこでもというわけにはいかなかったようです。
即ち1日目に加持祈祷をし、2日目に入刀し、3日目に彫った仏像の目入れを行うというような
段取りを踏まなければならなかったようです。
ですから片手間にというわけにはいかず、毎日ほぼ不眠不休で仏を彫り続けたものと思われます。

彫ることが祈ることであるならば、
円空の一生はまさに不眠不休で一心不乱に祈り続ける生涯だったと言ってよいでしょう。

ではそのように彼を駆り立てたものは何だったのでしょうか。

幼くして死に別れた母の面影を求めてひたすら仏像を彫ったという人もいます。
確かにそういう部分もあったかもしれません。

しかし数々の円空仏をじつとみると、
そういうものも包み込んでさらに昇華した心情だったのではないかと思います。

円空は旅の先々で世話になった人に仏像を彫り贈ったといわれます。
円空の彫った12万体は30年間で円空が出会った人々の数とも言われています。
円空は旅の道すがらで無数の人々に出会い、無数の自然に触れあい、無数の仏像を彫るうちに、
ある意味煩悩ともいえる母への追憶を更なる高みに昇華させたのかもしれません。

ただ母への思いを断ち切ったのではないと思っています。
円空仏には確かに母のごとき優しき微笑みを感じることがありますから。
昇華させたのだと思っています。

円空自身が語った言葉はほとんど伝わっていませんが、彼が作った短歌は伝わっています。


皆人は
仏に成ると
願いつつ
まことになれる
けさの杉の木


修行ぶりからどんな厳しい歌を詠むのかと思いきや、意外に優しく静かで平明な感じですね。
なんとなくどんな雰囲気の人だったか想像できるような気がします。

円空は60歳を過ぎて長い旅に終止符を打ち、
山深いの洞穴で最後の仏像「洞戸三尊像」を彫りあげました(画像一番下)。
山を下りて即身仏の修行に入り64歳で入定。

時を経ていつしか円空は忘れ去られ、捨て去られた仏像も多くあったようですが、
ある村々では秘仏として大切に安置されたりしていたようです。
そして円空入定300年にして再び脚光を浴び、
円空仏の微笑みは我々の面前に現れることになりました。
現在約5千体の存在が確認されているそうです。

近くに円空仏のある寺なり美術館があればぜひ行ってご覧になってみてください。
ネットの画像では表し切れない、なんともいえない優しい存在感がありますので。


明日少しだけエピローグ書きます。